総理大臣が真実に背を向ける時代
前回の記事にも、沢山の「証拠がない」というコメントが有った。なるほど、たしかに証拠はない。なんせ、全て資料は捨てられてしまったのだから。
財務省には、権力者に都合の悪い証拠は自動で削除されるという素晴らしいシステムが実装されているようだ。
なるほど、であれば確かに証明などしようはない。野党は証拠もないのに騒いでいるだけで税金の無駄遣いだ…といいたいのだろうか。
権力は真実を作り出すことが出来る。権力は自分の出したい情報だけをコントロールすることが出来る。そうすれば、あらゆる情報は確かに「疑惑」にとどまり、証拠がない悪魔の証明だ、と強弁することも可能だろう。
私は何も難しいことを言っているのではない。国会は法案を成立させる立法府であると同時に、予算の執行を承認する権力の検証機関であり、司法ではない。そこでは「推定無罪」の原則が働くわけではない。行政府は立法府において真摯に疑惑に答える義務がある。それが三権分立というものだ。
私は単に「適切に説明するための資料を出せ」と言っているだけだ。例えばそれは、森友学園と財務省や大阪府の交渉資料などだ。それに反対する人はいるのだろうか?
そして、もし資料を提出できないのであれば、それは説明責任を果たしているとはいえず、外形的に疑惑は払拭されない、ということになる。
この問題は確かに存在したのだ。前例のない、極めて安い金額で国有地は払い下げられたのだ。それは事実であり、誰かが何かの便宜を図ったのだ。
ハンナ・アレントとオーウェル的世界
私は、本件に関する反応を見るにつけ、ハンナ・アレントの「全体主義の起源」を思い出す。(歴史的名著。三巻が一番面白い)
参考図書【1】
アレントは言う。全体主義は、「事実への蔑視」を伴う、と。事実が蔑視される世界では、あらゆる予言は的中するのだ。全体主義の指導者にとって重要なのは「誤ることのない予言」なのだ。
内容がいかに荒唐無稽であろうと、その主張が原則的にかつ一貫して現在および過去の拘束から切り離されて論証され、その正しさを証明し得るのは不確定の未来のみだとされるようになると、当然にそのプロパガンダはきわめて強大な力を発揮する。
真実から背を向け、事実を検証しようとする姿勢を放棄すれば、指導者が提案するバラ色の未来に浸ることが出来る。
権力者が絶対に正しければ、その権力者に従っている限り、何一つ思考をする必要がない。権力者に歯向かうものと反対の行動を取っていればいいのだから。
あるいは、それはオーウェル的世界と言ってもいいかもしれない。
参考図書【2】
- 作者: ジョージ・オーウェル,高橋和久
- 出版社/メーカー: 早川書房
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君も段々に分って来るさ、ウィンストン。 われわれに出来ないことは何一つない。 姿を隠すこと、空中を浮遊すること--何だって出来る。 その気になりさえすれば、私はこの床上からシャボン玉のように浮揚できる。 しかし私はそれをやりたくない。党がそれを望んでいないから。 自然の諸法則に関する十九世紀的な考え方は放棄しなくちゃいけない。 われわれが自然の諸法則を造るのだ
悪の凡庸さ
「悪は凡庸である」というのは、「エルサレムのアイヒマン」における、アレントの有名な言葉だ。
この問題もそうである。首相のスキャンダルのため、財務省が、大阪府が、すべての資料を隠し、国会で愚にもつかない答弁をし続ける。
これを凡庸と言わずなんと呼ぶだろう?本来、迅速な真相解明と、責任の所在の明確化のみが重要であるはずだ。
指導者の無謬性を信じ、無邪気に「野党は時間を浪費している」と唱える人たちは置いておこう。
しかし、その他大多数の人は、自民党支持者であれ、野党支持層であれ、少なくともこの問題が、何かしら誰かが責任を追うべきスキャンダルである、ということは同意して頂けるだろう。
しかし、この規模のスキャンダルが、これほど大々的に報じられたにも関わらず、誰一人責任を取ろうとしない。あるいは、その真相解明に必要な資料すら明らかになっていない。
いわば、悪が堂々と目の前でなされている。白昼、警察署の前で賄賂を要求されるようなものだ。これを国家的崩壊と言わずして、なんと呼ぶのだろう?
この国では、もはやドリルでHDDを破壊しようが、大臣室で金銭の受け渡しをしようが、総理の友人(だった人)に八億円の便宜が図られようが、全ての問題は「野党がだらしないから」で片付けられてしまうのだろうか?
国家が衰退するというのは、国の力が弱まるということではない。それは、国民の力が弱まるということである。それは、我々が権力に相対する力を失うということである。
途上国の独裁者は皆、豪勢な暮らしをしている。国民から吸い上げた富で、だ。日本も同じような国家になっていくのだろうか?
生まれ育った、愛する国が壊れていくのを、無力感を感じながらただ眺めているというのは、なかなかの地獄である。
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