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「総理であり続けた人」がやめた

安倍晋三首相にはやりたいことがなかった。彼の政治的テーマは可能な限り長く首相をやることだった。

七年半の政治的リソースのほとんどは自身の権力維持に使われ、成立した大きな法案は共謀罪や安保法制、入管法改正など、出来が悪くとうていレガシーと言えるレベルのものではなかった。退任会見でも安保法制という言葉はついに一言も出なかった。

彼のライフワークが(7年半全く進まなかった憲法改正以外に)なんだったのか、誰にもわからなかった。

 

しかし、それは大いなる誤解である、この史上最長という歴史こそがライフワークであり、レガシーなのだ。

あるいは、それは自身の辞任以降、一年ごとに総理が変わっていくという事態を見て、安定した政権こそが日本にとって必要だ、と考えていたからなのかもしれない。

 

思い出を振り返ってみよう。安保法制では、自民党が読んだ参考人すら違憲と判断し、

 

共謀罪では「地図や双眼鏡を持っていれば準備行為」という謎の答弁が連発され、

 

西日本豪雨の際にはのんきに酒盛りし、

 

森友問題を巡っては、「関わっていたら政治家をやめる」と啖呵を切って一人の職員を自殺においこみ、 

 

加計学園では、明白な嘘を「やっていない、あっていない、知らない」で押し通し、 

 

桜を見る会では徹底的に文書を破棄して、

 

統計は改ざんされ、

 

日報は隠蔽された。

 

コロナ対策としてはお肉券が出てきたり、ブルーインパルスを飛ばしたり、アベノマスクを配ったり、いろいろチャレンジした。

IRもオリンピックも憲法改正も実現しなかったが、そんなことは史上最長の総理にとっては些細なことだろう。

 

この七年半、一人の人間が権力を維持するためにどこまでのことができるのか、ということを勉強させてもらった。感謝したい。

 

それから、おそらく総理の周りの人は私よりももっと感謝しているだろう。

国という薪を暖炉にくべて暖を取るような刹那的で場当たり的な行為だったけれども、大臣室でお金を受け取った甘利さんも、証拠をドリルで隠滅した小渕優子さんも、メロンを配った菅原一秀さんも、とにかくみんな辞めずにすんだ。(河井さんは運が悪かった)

 

重要なのは「何であったか」であり、「何をやったか」ではない。総理として何をやったかよりも遥かに重要なことは、総理で有り続けたことだ。なぜなら、安倍総理が総理で有り続けたことで、たしかに彼の周りの人は幸せだったからだ。

 

彼は何もしなかった。何もしなかったからこそ、総理で居続けられた。何かを成し遂げようとする人は弱い。何かで有り続けられる人のほうが強いのだ。

党が権力を得ようとするのは完全に自身のためだ。他者の幸福など我々は全く興味がない。我々が興味があるのは権力だけだ。富でも、贅沢品でも、長寿でも、幸福でもなく権力だけ、純粋な権力だけだ。純粋な権力が何を意味するかは君も今では理解しているだろう。我々は過去のどの独裁者たちとも違って我々が何をしているのかをわかっている。

 「1984」ジョージ・オーウェル