二大政党制とはなんだったのか?小選挙区制を考える
日本における二大政党の歴史を探り、機能する政党政治を考える
日本でなぜ二大政党制がもてはやされたか
モーリス・デュヴェルジェの功罪
デュヴェルジェの法則、という言葉を聞いたことはあるだろうか。
各選挙区ごとにM人を選出する場合、候補者数が次第に各選挙区ごとにM+1人に収束していく、という法則。
1950-60年代にモーリス・デュヴェルジェが唱えた。
かつてはデュヴェルジェという人は大変な影響力があり、彼は二大政党制を最も優れた政党制だと主張した。
それ故、日本の政党制や政治制度は劣ったものであり、アメリカやイギリスの二大政党制が優れている、という風潮が、日本にかつて存在していた。
その後、サルトーリにより多党制が見直されていくことになるが、二大政党制の神話は長く続くことになる。
英国政治の信奉者・小沢一郎
そこに現れたのが小沢一郎だった。小沢一郎は、日本政治において最も英国政治に傾倒した政治家だった。
彼は、日本の政治家の中で唯一、選挙制度を変えるだけの権力と、既存政治を変革したいという明確なビジョンを持っていた。
新進党の躍進と崩壊
そして、細川・羽田政権の後、新進党が生まれる。
新進党は、まさに小沢のビジョンを体現したような政党であった。当初小沢が「保守党」と党名を付ける予定だったことも分かる通り、保守二大政党制、という小沢の構想のもとに成り立った党であった。
しかし、結局のところ、新進党は公明党とのゴタゴタや党内抗争で瓦解してしまう。
新進党解党の後に第一党となった民主党は、当初社民・さきがけの新党(社さ新党)としてスタートしたが、小沢自由党との合併などもあり、徐々に保守色の多い議員も増え、左右のイデオロギーがはっきりしない政党に変容していく。
最後は小沢も党を離れ、二大政党としての民主党は瓦解した。
保守二大政党制という幻想
「保守二大政党制」というのは未だに根強い幻想として識者に取り上げられるようだが、これほどリアリティのない話はない。
「自民党より右に軸を作る」と息巻いた政党が歯抜けになり、結果的には自民党に続々と復党していることを考えれば、巨大な利権集合体としての自由民主党が消滅したり分裂することはありえないだろう。
なぜ二大政党制が機能しないか
各党の基礎票の差
二大政党制が成立するためには、二つの政党の力がある程度拮抗していなければならない。しかし、当初より民主党はほとんど利権の基盤がなく、その基礎票には大きな差がある。
各党の、直近で最も悪かった衆院・参院の比例得票数は下記のような形である。
これが、おそらく基礎票(天地がひっくり返っても支持政党に投票する層)だろう。
自民党
1881万票(2009年衆院選)
1407万票(2010年参院選)
民主党・民進党
962万票(2012年衆院選)
713万票(2013年参院選)
それに加えて、野党・与党で見ると、下記の政党が存在する。
公明党
700万票程度で安定
共産党
450万票前後
社民・自由など
100万票前後
左派政党が獲得しなくてはならない浮動票
衆院で考えれば民進党の基礎票が950万、共産党が450万票で1400万票、対して自民党+公明党の基礎票は1800+700万票で、2500万票である。
つまり、基礎票で考えると、比例には1000万票以上の差がついている。
自民党は大敗した2009年衆院選でも1800万票も獲得しているのに対して、民主党は連合をかき集めても1000万票にも足りていない。
現在の野党は、自民・公明よりも1000万票も多く浮動票を獲得しなくてはならない。これは、かなり大きな差である。
アピールの難しい野党
それに加え、党議拘束が極めて強いという日本の制度上、野党が提案した法案が通る可能性は可能性が少ない。
アピールする手段は、強行的なものにならざるを得ず、今の日本の有権者にどれほど受け入れられるかには疑問符がつく。
候補者の質が下がる
また、「振り子現象」により、大量の新人議員が当選する現象が起きている。
これにより当選した2005年衆院初当選組(小泉チルドレン)、2009年初当選組(小沢チルドレン)、2012年初当選組などの不祥事は、ご承知のとおりだろう。
また、世襲じゃないので選挙に弱く、結局のところ定着した議員が極めて少ない。振り子が起こってもなお勝ち残るのは、世襲の地盤が強い議員である、というのは皮肉な話だ。
どのような議会を作っていくべきか?
小選挙区とはそういうもの?
小沢一郎氏の考案した小選挙区は、基本的には思うとおり機能している。強い党議拘束はマニフェストを実現させるための最低条件であるし、候補者の入れ替わりが激しいのは、新陳代謝を促す、という効果をある程度上げている。
そして、何より岩盤のような自民党の地盤を崩し、2009年に政権交代を成し遂げたことは、小選挙区の最大の効果であったといえるだろう。
しかし、それ以上に、小選挙区が果たして日本の政治制度の中で機能しているのか?という点には疑問符がつく。
それは、日本の有権者が望んでいたのが、対立軸を明確にした二者択一(アリーナ型議会)というより、利益代表としての議員が議論をすりあわせていく(変換型議会)であるからだ。
結果的に利権はほとんど保守政党から離れなかった。そして、リベラル的な政策は審議されることなく置き去りにされている。
リベラル的な政策は必要とされている
小沢一郎が構想していたのは、保守二大政党制である。しかし、「保守が割れる」というのは結果的には幻想で、小選挙区により、自民党は上意下達の強力な官僚的政党に変貌してしまった。
とすると、やはり左派 vs 右派の伝統的な二大政党制を目指す他ないのではないか。そのためには、左派の緩やかな連合体と巨大な利権を持つ保守(&創価学会)という枠組みの中で戦うほかないだろう。
日本に必要なのは、目先の経済成長だけではない。2050年には1億人を割り込むと呼ばれる人口問題こそ、最大の課題である。
民主党政権は子ども手当を掲げて結果的には失敗したものの、子育てに対する直接保証はドラスティックに行うべき政策であり、自民党では実現が難しい種類の政策だ。
左派がいい、右派が悪い、という話ではない。どのような政党であれ、実現出来る・出来ない政策はあるのだから。だからこそ、議会制民主主義の中では、適切な形で権力の交代が起こる必要があるのだ。
日本は1955年より一貫して保守政党が政権を取っており、その後現れた政党も保守的な色彩が強かった。そのため、左派的な社会保障、特に助成に対する子育て支援の整備が立ち遅れた。その穴を埋めるためには、権力の交代が必要になる。
機能する二大政党のために
日本に小選挙区が合わない、という話もあるが、小選挙区制は世界の殆どの国で採用されている議会制度であり、これが必ずしも悪であるとはいえない(例えばドイツの制度など、参考にできる部分はあるが)。
むしろ、中選挙区時代からの脈々と受け継がれる地盤・金脈が問題ではないだろうか。
日本は世襲議員の割合が異常に高い、世界でも特殊な国である。この点にメスが入らない限り、本当の意味での機能する小選挙区の実現は難しい。
そのために、企業・団体献金の禁止など、より権力の継承を断ち切る議会改革が必要だろう。政党助成金制度と、企業団体献金の廃止はセットであったはずだ。
とはいえ、こういった政策を実現するような「与党」が今後現れるかどうかは、たいへん大きな疑問ではあるが。