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憲政史上最悪の国会答弁の声も?総理の「読売読め」を許してはならない理由とは

安倍総理の答弁は、なぜ「国会史上最悪」とまで評されたのか?

小沢一郎(事務所)がこのような形で総理答弁を批判した。かなり強い言葉を使っているが、基本的な見解は全く同一である。他の野党議員も、文言は違えど今回の発言を批判している。

今回の総理答弁は拙劣であり、今まで聞いたことが無いほど酷いものだ。

 

今回は、なぜこの総理答弁が憲政史上に残る醜悪な答弁であるのかを書く。

(追記)予算委員会の基本的なあり方について

www.yomu-kokkai.com

 

実際の答弁内容

www.yomu-kokkai.com

 

この答弁が最悪である四つの理由

議事録に残らない

国会とは何か。それは、議員と政府が質問と答弁をする中で、議事録を積み上げ、見解を統一する機関である。議事録は先例となり、どのような政党が与党になろうとも、政府の継続性を担保することになる。

首相が読売新聞に何を語ろうが、それは政府の公式見解として議事録に残るわけではない。だから、責任を取る必要はない。

安倍総理は「党内でリーダーシップを取る必要がある」と述べた。しかし、読売新聞は当然党員や政治家だけではなく、一般の国民が見るものだ。

国民に向けて語るなら、同時に発言に対して責任を取る必要があるだろう。

 

政府見解でないので、後からいくらでも弁解可能

上にも書いたように、これは公式の議事録に残るものではない。更に安倍総理いわく、これは総裁、つまり公人ではなく私人としての見解であるようだ。

私人の見解であれば、後からいくらでも変えることが出来る。議事録との整合性を取る必要もない。「あの時はああ思っていた」といえばいいだけだ。

そもそも、インタビューは自分の言葉ではない。あくまで総理の言葉を記者が「汲み取って」文字にしたもので、文責は記者にある。「私はこう言ったが記者が間違えて書いた」ということも出来る。

 

「公式な政府見解は出せないから」というのが総理の説明だが、であれば当然、「首相インタビュー」という名前で憲法改正について自説を述べるべきではないだろう。

――衆院解散の制限の議論も出ている。野党には69条の衆院解散に限るべきだとの意見がある。

私は総理大臣として解散する立場だ。意見を述べることは差し控える。 

また、総理はこのように、答えづらい質問については「総理大臣として」と述べている。そんなに総理と総裁というのは便利に使い分けられる人格なのだろうか。(というか、そもそもタイトルが首相インタビューであるのだが…)

報道の公平性の点で疑問が残る

そもそも、なぜ読売新聞だけなのだろう?憲法改正は国民的に関心の高い争点であり、当然、総理大臣の見解は、国民全員が知る権利がある。

報道の公平性という点で、一企業に特権的な取材権を与えれば、彼らが事実上の「広報誌」化してしまう可能性がある。

 

もちろん、個別企業やメディアのインタビューを全く受けてはいけない、ということではない。しかし、それはあくまで国会で誠実に質問に答弁するという前提があってなりたつものだ。

何か質問を受けて、自分たちと関係の深い新聞社の記事を読むように答える、というのは理解しがたい対応である。

そもそも私企業の宣伝である

このインタビューは、驚くべきことに読売新聞のプレミアムサービスに加入しなければ読むことが出来ない。

これは、私企業の宣伝である。憲法改正についての見解を国会で問われ、ネットで無料公開しているわけでもない記事を読め、といっているのだ。

 

トランプ政権のスポークスパーソンであるコンウェイ上級顧問が「イヴァンカ・トランプのブランドを買おう」と言ったのと酷似している。

www.huffingtonpost.jp

 

こんなことは通常ありえない。利益誘導以外の何物でもない。 

総理インタビューの発言についての見解

総理は、読売のインタビューの中で下記のように述べているようだ。

かつて憲法には指一本触れてはならないといった議論もあったが、「不磨の大典」と考える人は少なくなってきた。だからこそ「護憲派」は、憲法審査会で具体的な議論に入ることを恐れていると思う。

 

しかし、そもそも憲法改正に関する議論は、全く深まっているとはいえない。

 「護憲派は具体的な議論を恐れている」と総理は述べておられるが(総裁、とお呼びしたほうがよいのか?)、具体的な議論を恐れておられるのは総理の方ではないか。

安倍総理の答弁は基本的に的を射ていないことが多いが、答弁しないよりはよほど答弁した方がいい。総理大臣が「二〇二〇年までに憲法改正を目指す」と言ったなら、その答弁は詳しく国会で精査されなければならないのだ。

 

これまで、沢山の酷い答弁があった。しかし、それらの答弁は国会で追求され、宰相が責任を取ることで、(卑近な言い方をすれば)落とし前をつけてきた。

しかし、安倍総理は、自らの言葉に対して責任を取ったり、国会で追求されることすら認めようとしない。

 

安倍総理は「責任」という言葉が大変お好きだ。一次政権の時から一貫してそうだったと記憶している。しかし、安倍総理ほど自身の職責を軽視されている宰相がかつて存在しただろうか。

国会に、このような答弁を残してはならない。これは、憲政の汚点となる。

安倍三代

安倍三代