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憲政史上最悪の解散。今こそリベラルからの改憲を

御存知の通り、安倍晋三総理大臣は、どうやら国会の「冒頭解散」を決断したようだ。所信表明すらしない解散。まさに史上最悪の名にふさわしい。

 

臨時国会を開かない、違憲状態での選挙

野党四党は、六月の段階で臨時国会の開会要求を行っていた。

「加計」疑惑解明へ4野党/臨時国会開会要求へ/街頭演説で小池氏報告

 

憲法五十三条には、このような規定がある。

内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

これは義務である。しかし、日次の定めがないことを理由に、内閣はずっと臨時国会の開催を引き伸ばしてきた(日本の国会が過剰に閣僚を縛り付けており、外遊などがしづらいという点もある。その点は改善が必要)。

いうまでもなく、これは立法府の行政府に対する監視機能を担保するという点で、絶対に守らなくてはならない憲法上の要請である。

 

にも関わらず。安倍内閣は、どうやら冒頭解散、しかも史上初の「所信表明演説すら行わない解散」を行うようだ。

少なくとも…どのような理屈をつけられたとしても、新しく選出された内閣が、国民の信を問う総選挙の前に国会で所信表明を述べない理由というのは、およそ考えられない。もしなにか思いついたら教えてほしい。

 

普通であれば、憲法上の要請に従い、所信表明、代表質問、予算委員会の開会して一定期間が経ってから、選挙を行うというのが筋である。

例え、解散権を無制約に認めるにせよ、普通新しく内閣を作ったのであれば、所信表明と代表質問くらいはするだろう。権力を守るためとは言え、恐るべき姑息さである。

 

選挙の勝敗で違憲が解消されるものではない

「そんなことを言うなら、選挙で落とせばいいじゃないか」というような言説が存在する。

しかし、健全な憲法と国家への成約がない、ムッソリーニ率いるファシスト党は、選挙制度や政治制度を良いように作り変えて、選挙で圧勝した。

そのような独裁と圧政、成約なき肥大した権力を防ぐために、立法府の監視があり、また立憲主義が存在するのだ。

 

だからこそ、当たり前の話ではあるが、憲法というのは国家が国民のために機能するためには絶対に遵守すべき規程である。

そして、本来選挙というのは、与野党がきちんと政策を精査する期間をおいて、それを国民に提示して信を問うべきものだ。

もちろん権力闘争であるから、認められた範囲で戦略的に解散権を用いることは(議論はあるにせよ)違憲ではない、と考えられている。しかし、今我々が考えるべきなのは「本来国会はどうあるべきか」ということではないか。

 

リベラルな立場からの改憲を

さて、では野党は一体何をすべきなのだろうか。この記事で提案するとすれば、下記のような二つの「リベラルな立場からの改憲」を行うことだ。

一つだけ自民党を評価するとすれば、極めてアクロバティックで、ガラス細工のようなやり方であるが、紙の上では憲法上の成約を一応クリアしているということだ。

また、この現状を見れば、やはり憲法というものは、その理念を実現するため、具体的な項目を書き込む必要がある、という議論になるだろう。

 

改憲は不要である、という立場もあるかもしれないが、そもそも憲法とは権力を制限するものであり、日本の行政府はあまりにも制限されている要素が少ない。

むしろリベラルな側から積極的に制限すべき点を上げていく必要がある、というのが個人的な立場だ。

通年国会の導入

先日、下記のような記事を書いた。これは、野党の審議拒否を無くすためには、通年国会の導入が不可欠である、という主張だ。

 

これは、旧民主党が提案していたことでもある。(岡田克也氏が長年提唱していた)。また、古くは旧田中派の主張としても知られていた。

 

そもそも、日本のように会期制を採用している国は現在では殆ど無い。そもそも、通常国会が百五十日しかないのも不思議な話である。

ミサイルの問題や、突然の震災など、突発的に国会で話し合わなければならないテーマは常に起こりうる。一定期間の長期休暇はあってしかるべきだろうが、国会自体は常に開いておくのが道理ではないだろうか。

  • 総理の外遊などの日程が制約される
  • 官僚の負担が増える

などの議論があるが、そもそも内閣は統一見解を出すのだから、国会にいちいち総理や大臣が必ず出席する必要はない。

代表質問などトップ同士質疑できる場所をより多く設けた上で、総理や大臣に関してより自由にできる時間を増やすべきではないだろうか。

また、官僚の負担軽減は、通年国会とは別の点で議論されるべきである(議運の機能強化など)

トップの資質や姿勢を見るのであればクエスチョンタイム(代表質問)で十分であるはずだし、月に一回きちんとクエスチョンタイムを開く、という政治改革の理念に立ち返るべきだ。

 

解散権の成約

もう一点は解散権の成約である。このところ、解散権に関する議論が深まってきた。流石にこの解散はおかしい、と感じる人が多いのだろう。

宮澤喜一・元総理大臣も「解散権は好き勝手に振り回してはいけない。あれは存在するが使わないことに意味がある権限で、滅多なことに使ってはいけない。それをやったら自民党はいずれ滅びる」と話したことがあるという。 

いわゆる七条解散というのは、天皇の国事行為である。実質的には内閣が国事行為を定めているとは言え、純然たる内閣の権限として憲法上認められているものではなく、法学者の間でも意見が別れている。

また、「国民のために」と書かれているように、本来これは国民の強い意思や要請によって行われるべきものだ。

天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

2. 国会を召集すること。

 

実際のところ、衆議院の任期が4年であるにも関わらず、任期を全うした議員は殆ど無い。これでは政策が長期的に行われるはずもない。日本以外の殆どの諸外国は、イギリスなどを含め解散権を制約するか、または制約する方向での法改正を検討している。

 そもそも、四年間しっかりと任を果たすことを前提に衆議院議員は選ばれるべきであり、解散というのは「よほどの事態」つまり、国民からの強い要請があったときのみ行うべきことではないだろうか。

憲法上の制約が必須であると考える。

 

終わりに

様々なことを述べたが、解散権を制約するためには国民の声が盛り上がらないと難しいのが事実である。このような解散が問題であると考えれば、投票に行く。地域の議員の声に耳を傾け、違憲を付託する。そういった地道な努力のもとにしか、権力の監視は成り立たない。

一歩一歩進んでいるうちに逆走するベルトコンベアに乗っている、ということもあるだろうが、それでも一歩一歩進まなければ政治というものは変わっていかないのだ。