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野党のパフォーマンスは悪なのか?

 とりとめのない話をする。

 昨日、立憲民主党の衆院議員、尾辻かな子さんが、セクハラ被害者に対して連帯を示すために、アメリカの#metoo運動になぞらえて(あるいは、それに連帯したアメリカ民主党の議員になぞらえて)黒い服を着ることを提案した時、私はどうせ、批判されるのだろうな、と想像していた。

 尾辻議員は、日本ではじめてのLGBT議員であり、ジェンダー問題に関しては第一人者でもある。

 

 メディアでは一定程度取り上げられた。「パフォーマンス」としては、それなりの効果があったのではないか。

 私の予想通り、様々な批判を浴びた。はてなブックマークですら批判的なコメントがほとんどだった。

 

 

野党のこういう絵面重視(だけどキレイじゃない)、キャッチフレーズ重視(だけどすべってる)のが本当に見ていてつらい。つらすぎる。そして中身が頭に一個も入ってこなくなる。普通に抗議してお願いだから。

 私は、批判を見ながら、トップページにあるコメントのこの意味を、ずっと考えていた。この方を批判しようということではない。多くの星がついていることから考えても、ネットのある意味マジョリティの意見なのだろう。

 この方の言っている、「普通に抗議」とは何なのだろうか。「普通の服を着て、普段のまま、普通に抗議する」ことを求めているのだろうか。

 もし、セクハラ問題に対する抗議が正当なものであるとしたら、「つらすぎる」のはなぜなのだろうか?

 すべってる、とはどういうことなのだろうか。セクハラ問題は、受けを狙ってやっているわけではない。それは、すべるような性質のものなのだろうか。

 キレイじゃない、のは仕方ないかもしれない。色々不十分な点はあるだろう。たった一人が提案したことだ。しかし、被害者女性への連帯を示すことが仮に「パフォーマンス」であったとして、それがいかなる悪なのだろうか。 

 

 あえて問う。国会議員がパフォーマンスをしなかったら、誰がパフォーマンスをするのだろうか。誰が社会問題を提起し、誰がそれを訴えるのだろうか。

 一体、そこに我々は何を求めているのだろうか。

 

「#metoo」を当事者以外がやるのはいかがなものか、というコメントもあった。しかし、#metooという言葉の意味をわかっているのだろうか。「私も同じ」である。

「#metoo」 運動は、そもそも、被害を訴えた女性だけでなく、「自分たちも性差別の当事者である」ということを、様々な社会的地位のある女性(とりわけハリウッド女優)が訴えることで、単に個別の被害ではなく、構造的に存在する性差別を解消しようという運動だ。

 そして、国会議員ほど、性差別の最前線に経っている人間はいないだろう。なにせ、本邦の議会は世界にも類を見ないほどの男社会であり、要職を女性が占めることは殆ど無い。

 「選挙目当てのパフォーマンス」という紋切り型の語句が存在する。しかし、パフォーマンスは悪なのだろうか。

 例えば、選挙演説はパフォーマンスなのだろうか。仮に、選挙演説がパフォーマンスであり、やってはならないとすると、国会議員がやることは一体何になるのか。

 国会議員の仕事は国会での質疑だ、というご意見もあるだろう。しかし、果たして何人が、NHKで中継されていない国会の委員会をきちんと視聴しているのか(私はかなり国会を見ている方だが、それでも五分の一も見られていない自覚はある)。

「#metooの政治利用」などという頓珍漢なコメントもあったが、もともとセクシャルハラスメントも、#metooも、極めて政治的なイシューである。男女共同参画は政治が解決するべき問題だからだ。しかも今回は財務事務次官の問題なのだ。何が政治利用なのか理解に苦しむ。

 

 私が野党に求めるのは、問題提起である。それは言い換えればパフォーマンスとよんでもいいのかもしれない。

 まずい法律、まずい閣僚、まずい国会運営を、きちんと国民に知らしめるのがパフォーマンスである。

 それが下手だ、というような批判は当然あってしかるべきだろうが、「パフォーマンスだ」ということが直接的に批判になるのは、全く理解が出来ない。

 

 野党のパフォーマンスが嫌いだ、という言葉は「女は黙ってろ」というのと、何が違うのだろう。

 力弱い者、実際に動かす権力がないものは黙ってろ、という言葉と、一体何が違うのだろう。

 私はもちろんセクシャルハラスメントを問題提起するのには賛成だ、という方もいるだろう。であれば、どんなに下手なパフォーマンスであれ、それを飲み込んで、もっといい連帯の仕方を、パフォーマンスの仕方を考えるのが、やるべきことではないか。

  

 あえて申し上げたい。ただ批判して傍観しているなら、あなたは被害者か、加害者、どちらになるのだろう。

 例えば、こう考えてみてほしい。日本が大きな災害にあう。海外の国の政治家が「日本頑張れ」というセレモニーをする。

 その時、同じような批判は出るだろうか?

「パフォーマンスだ」

「見せ方がヘタで辛くなる」

「便乗しているだけ」

 というような言葉は出てくるだろうか?

 

 あなたは、セクシャルハラスメントというものを、軽く捉えていないか。

 セクシャルハラスメントに連帯を示すパフォーマンスが悪なのか。それを批判し、揶揄するのが悪なのか。もう一度、考えてみてはいただけないだろうか。

 

 批判されるべきは、こういう議員であるはずだ。