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野党を批判せざるを得ない人たち

 

どんなに無理筋に見えようと、野党批判せざるを得ない人達というのがいる。

それは個人的理由なのか、思想信条的理由なのか、あるいはビジネス的な理由なのか分からない。しかし、中立を装い、なおかつ多数の賛同を得るためのツールとして、「与党も問題がある、しかし野党も」という言説を用いる人もいる。

私はそのような人間の心性には興味がない。しかし、その有害さは指摘しておかなくてはいけない。

 

今回の財務省公文書改ざんに関する問題を例に挙げる。この問題において糾弾されるべき、あるいは制度を変えるべきなのは、行政である。

この問題は立法府が担保されるべき国政調査権であったり、あるいは質問権といったものが、行政府によって侵害されたという事案だからである。

ごくごく一般的な脳みそを持っていれば、立法府の議員に対して瑕疵を問うという理論自体がおかしいことが分かる。

もし仮に瑕疵、あるいは追求ができなかった原因が立法府にあったとしても、立法府の現在の構成員はほとんどが与党・自民党あるいは公明党だ。

すなわち、立法府の責任を取る、という点において最も責任を問われるべきは与党であり、野党ではない。

野党を批判している者たちは多くは、野党の力不足を主張している。しかしながら、力不足を解決する唯一の手段は議員の数を増やすことで、つまり彼らは与党に立法府としての能力、あるいは行政の監視能力がないと考え、野党の議席を増やそうとしているのであろうか。

おそらく多くの方はそういうスタンスを取っていないだろう。

問題は、与党と野党の責任を平等に追及する行為がまるで中立であり、理にかなった態度であるかのように捉えている人が多いということだ。

しかしながら、行政に責任があるものを立法府に転嫁するという行為は、語義通りに責任転嫁と言うべきものであり、なおかつ立法府において多数を占める与党の立法としての監査責任を問わない態度は、およそ中立とは言い難い。

はっきり言えば、権力主義でしかない。

 

彼らは、なぜ野党を批判せざるを得ないのか。

問題は立法府がその信頼を失っていることにある。例えば先の佐川前国税庁長官の証人喚問において、もちろん野党側の質問に対してよりこうすべきだったという改善点は述べられるかもしれない。

しかし、丸川珠代議員あるいは石田真敏議員などの質問は、茶番と呼ぶしかないものであった。野党側の質問が力不足だとしても、彼らは最初から追求する気がなかったのは明白だ。

 

問題は、このような与党側の茶番的質問が、立法府の信頼そのものを毀損しているということである。

不思議なことに、与党自由民主党が立法府で馬鹿げた質問を繰り返せば繰り返すほど、立法府の信頼は落ち、行政府の力は強まる。

まさにこの数年マッチポンプ的に、そのような茶番的質問を繰り返し、行政府の監視という、立法府の、あるいは代議士・国会議員としての良心、誇り、そして責務を放棄してきた与党自民党の国会議員の責任は極めて大きい。

 

忘れてはならないことは、疑似政権交代と言われた自民党内での権力闘争は、まさに相互の厳しい監視によって担保されていたということである。

与党自民党の議員が、一定程度権力の監視という立法府の責務を果たしていたからこそ 、自民党内の自浄能力が働き、結果的には社会党などに政権を渡さなかったのである。

 

しかし、取り分け安倍政権になってからの、自民党の立法府としての誇り・良心は消え失せてしまった。

立法府の一員としての矜持を持たない議員が増えた、ということでもある。

 

自民党の松川るい議員が、「日程闘争なんて後進国みたい」というツイート(削除済み)をされているのを見た時、私は驚愕した。そもそも、参議院の予算審議というのは30日ルールがあるので、日程闘争とは何の関係もない。日程闘争とは、会期末まで法案を審議せずに、廃案未了に追い込むことだ。予算は自動的に衆議院に差し戻されるので日程闘争の意味がない。

「後進国」とおっしゃっている(これ自体も差別的発言ではあるが)が、会期不継続の原則や会期独立の法則はそもそもイギリス議会を元にしていて(現在は法制度が整備されているが)、立憲君主制に見られるものだ。立憲君主国家が後進国だというのだろうか。

しかし、問題はそういう知識不足にあるのではない。この時野党が要求していたのは、財務省が資料を出すことである。あろうことか、改ざんされる前の資料を出せ、ということが日程闘争であり後進国的だと主張していたのだ。

行政府を監視する立法府の一員としての自覚はかけらでも存在するのだろうか。

 

松川議員に、立法府の一員としての誇りは欠片も見当たらない。そこに存在するのはサラリーマン根性とも呼ぶべき、上司への忠誠、あるいは権力への生々しい憧憬だけである。

 

自民党は安倍政権以降、一貫して立法府の能力を弱め、立法府の誇りを毀損し、その立法府を貶めることによって行政府の力を強化してきた。

このような態度は決して許されるべきものではない。かつて政治家と政治屋という対義語が流行った時期がある。政治を職業として、ファミリービジネスとして捉えてきたことの弊害がここにある。

そして、彼らを擁護し、野党を馬鹿にすることで、立法府を馬鹿にするようにして、行政府の力を強めてきた言論人の責任もまた大きい。

 

もう一つ、私が驚愕したツイートを紹介する。

どんなときであれ、国会議員の名前があるということがどれほど大きいものなのか、小野田議員はご自身で言及されている(知らないうちに使われるくらいには)。にも関わらず、「利害関係者では?」といぶかる声に対して「滑稽」とまで語っている。

国会議員の名前の重さというものを、全く理解されていないのではないだろうか。

 

総務省では、「後援団体からの寄附」と「政治家の関係会社などからの寄附」を禁止している。後援会長はご自身の認識は別にして、密接な関係者であろう。

総務省|寄附の禁止

 

これを小野田議員が何のてらいもなく、あっけらかんと「後援会長ですけど、利害関係者ではないです」と公言していることに、非常な違和感と危機感を覚える。

 

自民党の国会議員には、非常に優れた方が多数いるのも事実だ。しかし、本当に立法府の一員として、権力を監視する、民主主義と国民主権を守るという代議士の本義を忘れていないといえるだろうか。

サラリーマン的に、官僚的に、ただ上に従い、お世話になった人に恩返しをする、ということだけを繰り返してはいないだろうか。

この種の言説は、馬鹿げて見えるのかもしれない。しかし、それこそが安倍政権が日本に与えた最も大きなダメージなのではないだろうか、と思う今日このごろだ。 

社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学

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