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「政府から目をそらす」という政治姿勢が日本の政治を劣化させる

以前「野党を批判するのは簡単だが、それよりも重要なことが起こっているのではないか?」という趣旨の記事を上げたところ、多くのコメントを頂いた。

ここに集まったコメントを

批判について

批判されたコメントの一部をご紹介したい。

野党を支持しろ?

「自分の頭で考えて野党支持者になれ」と言われても「民主主義ではよりマシな方を選択するしかない」と返事するのみ。野党批判=よりマシな方になれって構図が分からないのかなぁ。

有権者のことを見くびり過ぎなのでは。それぞれの価値観で与野党比較した上で投票しているでしょう。あなたは「野党に投票すべき」という価値観を持っているだけで。  

まず申し上げておきたいのだけど、別に私は野党に投票すべきとも野党支持者になれとも言っていない。

私は単に、「公文書の改ざんって先進国家としてありえないよね?」「データが間違っていたのに法案を通すってありえないよね?」ということと、「別にそれって野党を批判しても解決しないよね?」ということを書いているだけだ。

タイトルにも書いてあるとおり「野党を批判している間にこの国でとんでもないことが起きている」というのが投稿の趣旨だ。

なのに、なぜか「なぜ野党が支持されないのか」を延々とコメントしていただく方が多いのは不思議な事だ。

これだから左翼は?

最近の左翼のトレンド。自称中立や右左に偏ってない人を叩く。逆になんで左の思想なら全部正解で、右なら間違いとかいう0か100の思考が正しいと思ってるんだ?それぞれ、正しい時、間違ってる時があるの当たり前だろ

 左翼って多様性を認めっていうけど全部但し書き付きだよね「俺の思う多様性」。

しつこいようだが、私はただ「公文書の改ざんやデータがないままの立法はとんでもないことだ」と言っているだけだ。

公文書の改ざんを批判したら左翼になるなら、右翼は公文書を書き換えてもいいという思想なのだろうか、実に不思議である。

 

政府から目をそらし続けることについて

ところで、私はこれらの批判コメントを見ていて不思議に思ったことがある。誰も政府について言及していない。

政府支持の言論人の中には、「高度プロフェッショナル制度に賛成だ」とか「公文書の改ざんは財務省の問題だから政府の責任ではない」というような意見を堂々と言う方もいる。

コメントの多くはそうではない。

 

 

「公文書の改ざんやデータの書き換えは問題だ、野党の批判は簡単だが、そんなことをしている間に大変なことが起きているのではないか」

という批判に対して、

「左翼は〰」「野党を支持しろと言うけど〰」

という野党批判を繰り返しているだけだ。

 

先のエントリに対して、ありうる反論は下記の三つしかない。

  1. 「公文書の改ざんやデータの書き換えは大きな問題ではない。また高度プロフェッショナル制度にも賛成だ。だから政府を支持する」
  2. 「公文書の改ざんやデータの書き換えは問題だが、それは支持不支持を変えるほど大きな問題ではない」
  3. 「野党の批判は、政府批判よりも大事である」

実質的に、野党批判は二番に含まれるのかもしれない。

 

野党はこれくらいひどい。野党はこんなにもダメだ。そう何度も何度も繰り返せば、「やはり野党に投票したら日本はダメになる」と安心して、例えば高度プロフェッショナル制度や共謀罪、水道法に対して反対であったとしても、その個別の政策の賛否から目をそらすことが出来る。

そして、返す刀で「高度プロフェッショナル制度を可決させてしまう野党はだらしがない」「佐川氏から証拠を引き出せない野党は情けない」と野党批判をすることも出来る。一石二鳥だ。

つまり、政府から目をそらし、ただ野党の行動だけに焦点を当てることで、個別の政策の賛否を明らかにすることなく(あるいは個別政策に対して否定的であったとしても)、政府を支持し続けることが出来る。

 

別に自民党支持であれば自民党や政権を批判してはいけないわけではない。

私は、まっとうな自民党の支持者であればこそ、「公文書の改ざんは大変問題だ。改善策をきちんと考える必要がある」と、投票行動と切り離して批判するべきなのではないかと考えている。

「野党に政権を任せる訳にはいかない。しかし、今回の問題は由々しき問題でしっかりと解決すべきだ」という反応があってもいいはずなのだ。

 

残念ながら、このような支持層の姿勢こそが、安倍政権を根っこから腐らせてしまった最大の原因である、と考えざるを得ない。