総理の本音
お酒が入ったときにこそ、四十代・五十代の紳士淑女から、思わぬグロテスクな本音が聞き出せる、ということがある。
この間も、さる業界の大物で、人品卑しからぬ紳士から「 #metoo とか言ってるけどさ、枕営業して得をしてた人が今更グダグダ文句をいうのもねえ」という言葉を酒席で聞き、やんわりと「まあ、今は時代が違いますからね」としか言い返せなかった自分に腹が立ったものだ。
一皮むけば、社会的に尊敬されている方が存外醜悪な考え方をしていることもある。
世の中には、(私にはちょっと想像もつかないが)万引きだったり、傘の盗難であったり、「大して金額の大きくない窃盗」を、さも武勇伝であるように語る人がいる。
例えば、100円の消しゴムを盗んだとする。ある人にとって、窃盗は金額にかかわらず犯罪であるが、ある種の人にとって、それは金額が小さいから、犯罪ではない。
更に不思議なことに、被害者の声に対して「こんな小さなことで誰かが辞めされられては困る」というような反応すら、必ずある。
そういう世の中の「見えない分断」を目の当たりにするに連れて、私は総理の本心というものがよく理解できるようになった。
今回の予算委員会の意味不明・非生産的・ふざけた答弁を見ていて、その思いは更に強まった。
総理の本心とは「なんでこんなことで大騒ぎしているの?」である。
考えてみてもらいたい。もし本当に、安倍総理を熱狂的に支持する人たちが、総理の関与を信じていなかったとすれば、今回の「総理案件」文書が出てきた時に激怒して、ふざけるな俺の信頼を裏切ったのか、と殴り込みに行くはずだ。
要は、彼らも、あるいは自称経済学者や自称物理学者や自称政治学者も、結局のところ総理が関与していないなんてハナから信じていなかったのだ。
というか、当たり前である。そんなのは小学生程度の知性があればわかるし、彼らはそれほど馬鹿ではない。要は、全部知っていて、それでも「馬鹿が騒ぐから」程度の気持ちで、無理筋なロジックを適当に組み上げているに過ぎない。
要は、彼らにとって森友学園の8億円の値引きや、加計学園だけに特定して緩和された国家戦略特区の制度は、100円の消しゴムを万引きした程度の話なのだ。
そして、それに対して、そもそも対した問題ではないのだから、どのような隠蔽やごまかしをしたとしても、問題がないと考えているのだ。
まあ、8億円の値引きや、特に需要の見込めない獣医学部の認可が「小さい問題」なのかについては置いておこう。しかし、その「小さい問題」を隠すために、隠蔽や改ざんやごまかしをしてきたことは、どう評価すべきだろうか。
私は、100円の万引きをごまかすために、万引きしたものをドブに捨てて「何も持ってないですよ」と嘘をつく行為をどう考えるだろう。
私は悪質極まりないと思うが、世の中には「100円くらいなんだから何してもいいじゃん」と考える人も、どうやらいるらしい。
とすると、総理のグロテスクな本音である「この程度のこと、グダグダ言うなよ。はいはい、とりあえず答弁しておきますよ」というような意志に基づいた答弁が、国民から一定の支持を受けるのも、やむを得ないのかもしれない。
思想に共鳴した学校への8億円の値引きも、友達のために国家戦略特区を作ることも、ある種の人にとって小さな話なのかもしれないし(そういう人は大抵『国会ではもっと議論する問題がある。例えば北朝鮮とか』などと述べている)、その小さな話で総理が辞めるのは困る、と思う人はいるのだろう。
そして、その小さな問題で辞めないために、「多少」書類をごまかしたり、「多少」嘘をついたりするのは、かまわないのかもしれない。
「ちょっと尻を触ったくらいで、首にさせられる社会は怖い」と言っていた男性の方がいた(それは流石に数年前だが)が、同じような感覚なのかもしれない。
まあ、ともかく。茶番はやめよう。総理を支持する人だって、総理が今、嘘をついていることは多分理解しているのだ。それが問題であると思っていないだけで。
だとすれば、嘘は嘘だと認めた上で、堂々と議論をすれば良いのだ。
そこから始めよう。随分長い道のりで、どこかにたどり着く保証もないのだが。