一連の事件の中で、様々に驚くことはあったが、まるでスパイ映画のように非現実的な事件を覚えているだろうか。
財務省の職員は国交省まで出向いて、わざわざ元の文章を改ざんしてさし変えようとした。しかしそれを国交省の職員は改ざんされると予知してコピーを提出していた。
にわかには信じがたい事件である。まず断言しておきたいのは、安倍政権よりも前に何の報道もなされていない時に起きたとしたら、あるいは、日本以外の先進国でこのような自体が起きたとすれば、国会あるいは世間も蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていたはずだ、ということだ。
ウォータゲート事件も真っ青である。
我々は既にありえないような事態に対して、慣れきってしまっている。これは由々しき問題だ。
安倍政権の5年間の政権運営における最大の問題点は、このように、多くの人が政治の不正に対して極限まで鈍感になってしまったことではないだろうか。
先日、加計学園の事務局長と称する人間が、愛媛県に赴いて謝罪を行い、またメディアに対して公開で記者会見を行った。
彼らの言い分によれば、加計学園の渡辺事務局長と称する人間は「ついうっかり首相と加計理事長が出会って「獣医学部はいいね」と言ったという嘘をついてしまった」ということだ。
ついうっかり真実を言うことはあっても、ついうっかり嘘を言う、というのは、もはや虚言癖の領域である。とすると、彼が述べている話が今現在真実であるかもよくわからない。
もう少し近いニュースを見ていこう。河村建夫氏は「首相が『予算委員会はお手柔らかにしてほしい』『集中審議は勘弁してほしい』と発言した」と記者団に発言したものの、その後「そういった発言はなかった」と撤回した。
また、柴山総裁特別補佐は「総理答弁が決算文書の改ざんのきっかけだった」と発言し、その撤回している。
どうやら、安倍総理は嘘つきに囲まれているようだ。加計孝太郎氏も嘘をついていた。財務省も嘘をついていた。河村建夫氏も柴山昌彦氏も嘘つきだった。柳瀬氏も嘘つきだった。嘘をついていなかった正直者は総理だけらしい。
もし総裁特別補佐と総理補佐官と腹心の友が嘘つきだったとすれば、私は人間不信になると思うが、総理はたいへん強い心をお持ちのようだ。
問題は、総理の主張していることは、部分的には辻褄が合っていると仮定しても、全体的には全くもって支離滅裂だということだ。
総理は、自らのバーベキューパーティーで出会った総理秘書官と加計理事長(彼の主張によれば腹心の友である)が、官邸で会っていたことも知らなかったし、卒業式で祝辞まで乗っていたにも関わらず、腹心の友が新しい学部を設立しようとしていた、ということも知らなかったし、総理は全くプロセスに介入する権限もなく、あずかり知らぬところで進んでいたということだ。
これほど物事を把握していない上に、周りに嘘ばかりつかれている総理大臣というのは、おそらく近代国家において初めてであろう。とにかく、安倍総理は自分が無能であるということを強く主張することによってこの場を切り抜けようとしている、ということである。
これらはすでに100回以上語られたり、議論されていることだ。
私が書いたことはすべて陳腐だ。おそらくここまで読んでくださった方も、その印象を受けたのではないだろうか。しかし、重ねていうが、もしこれが安倍政権以前に起きていたらどうなっていただろうか。
恐ろしいほど馬鹿げていて、恐ろしいほど理解不能なことが日々起きていて、我々はそれにすっかり慣れてしまったように見える。
例えば中国のことを考えてみよう、親しい中国の方々に政治の話を聞くと、彼らのほとんどは、自国が民主主義国家でないことに対して、消極的ながら受け入れている。
なにせ十三億人もいる国だから、デモクラシーを導入するのは難しいんだ、というように。そして習近平主席(夫妻)の人気も高い。たとえ、彼が民主的に選ばれたリーダーではないとしても。
我々は極めて高い順応性を持っている。一度既存の枠組みができてしまうと、それを壊すの用意ではない。
もし一度、政治家が嘘をつくのが当たり前の社会ができてしまえば、我々は極めて容易くその状況に馴染んでしまう。だから私は、たとえ陳腐だとしても、このような形で文にし続ける。
それがいかにおかしなことであるのか、それが間違ったことなのか。そしておそらく何度も言い続けるだろう。
安倍晋三という人間は、嘘をついている。
彼は今すぐ政治家を辞め、永久に公の舞台に出るべきではない。彼の痕跡は歴史から抹消されるべきである。そのようなことを言い続ける。
この破壊された5年に失われた政治理念を、今すぐに回復しなくてはいけない。