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「国会キス事件」と麻生・下村セクハラ発言 ー 大蔵大臣が働いた性的暴行の顛末から考える

麻生太郎 副総理兼財務相 「はめられて訴えられているんじゃないかとか、ご意見はいっぱいある」

下村博文 元文科相 「隠しテープでとっておいてね、そしてテレビ局の人がですね、週刊誌に売るっていうこと自体が、ハメられてますよね。ある意味で犯罪だと思うけど」

麻生大臣や下村元大臣が、かくの如き発言をした約70年前、「国会キス事件」が起きたことを皆さんはご存知だろうか。

これは、当時の大蔵大臣(今の財務大臣にあたる)である泉山三六氏が、国会内で飲酒をして(当時は認められていた)、参議院議員である山下春江氏に対してキスしようと暴行を働き、挙句に噛み付いて怪我をさせたというとんでもない事件である。

一体、この問題に対して、日本の立法府はどのように対処したのか、今回は議事録からその顛末を見ていただきたい。

 

昭和23年12月13日の衆議院本会議より。

山下春江君

本日午後六時ごろ(発言する者多し)午後六時ごろ、私ども大藏委員は、大藏委員会にかかつている法案の通過をスムースにするために大藏大臣の招宴がありました。その席上、泉山大藏大臣は泥酔いたし‥‥


〔「資格がない」と呼び、その他発言する者多し〕


議長(松岡駒吉君)

靜粛に願います。


山下春江君(続)

私に向つて、廊下に出ることを、彼は暴力をもつて強要いたしました。私も相当な力は持つておりますけれども、泥酔せる男子にはかないません。そこで、彼は暴力をもつて私を参議院食堂の外の廊下に引出しました。そうして、彼の行いました行動は‥‥


〔「恥を知れ」と呼ぶ者あり〕

驚くべきことに「恥を知れ」というのはこの山下議員に対する野次なのだ。

議長(松岡駒吉君)

靜粛に願います。

山下春江君(続)

私が恥を知らなければならないことを、私はここに断言いたします。私に向つて恥を知れと言う民主自由党に、私はあえて申します。大藏大臣に向つて私は申します。今晩あなたは泥酔して許される立場の人でない、そのあなたが何をなさんとするか。そんなことが何で今晩必要なんだと彼は申しました。私に恥を知れと言う前に、綱紀粛正を呼ぶ吉田内閣の恥を知らしめんと、私は立つたのであります。(拍手)


この追加予算が今夕通過するかしないかは、先ほど榊原女史が言つた通り、全國のこの公務員法に縛られた全官公二百万が、かたずをのんで待つている。この今夕、その当の責任者である大藏大臣が泥酔して、そんなことが何だ、おれは君が好きなんだという言葉が、どうあれば吐けるのですか。(拍手)綱紀粛正とは、一体全体どこなんでしよう。


〔発言する者多し〕


議長(松岡駒吉君)

靜粛に願います。山下君に注意します。一身上の‥‥


〔発言する者多し〕


山下春江君(続)

私はあえて申します。かくのごとき世界の注視の的であるこの追加予算の通過せんとするまぎわにおいて、保守反動と呼ばれる民主自由党内閣が、せつかく全國から選ばれたる女性の代議士をかくの如く扱いますることをもつて、世界は保守反動の党と言うのであります。


議長(松岡駒吉君)

一身上の弁明の範囲において発言せられんことを‥‥


山下春江君(続)

これを説明しなければ、一身上の弁明はわかりません。かくのごとき行動をとつた、これが私の一身上の弁明です。かくのごときことをこの壇上において言わなければならない日本國会の婦人代議士が、いかに侮辱されておるかを、満場の皆様は熟知されたでありましよう。こんなことで、日本の民主主義がどうして行われるのか。そういう吉田内閣によつて、このせつぱつまつた國会が動かされるのか。いかに日本國民が不幸であるか。


私は、泉山大藏大臣に侮辱された一身上の弁明を終え、同時に、かくのごとき内閣によつて、このせつぱつまつた國会が運営されておる日本國民の不幸を絶叫して、降壇するものであります。(拍手)

 

さらに、昭和23年12月14日懲罰委員会より抜粋。山下春江議員の発言。

しばらくして泉山大藏大臣は來られたのでありますが、何でも二、三ばいお酒を飲まれたと思うころ、そこに給仕に参りました食堂の女中を、首の所を何か抱きかかえたようなかつこうをして、これは私のたいへん好き――と言いましたか、愛しておると言つたか、何でもそういう婦人だから御紹介いたしますということを申しておりました。 

泉山さんはもうこんな所はつまらないからほかへ行こう、こういつて私の右腕をつかんで立たせようとしました。私が立たなかつたために、いすが横になりまして倒れそうになつたので、私は立ちました。立つたとたんに彼は非常な力を出して私を廊下の方へ連れ出したのであります。

それに反抗したのですが、かなり力のある人で廊下のまがつたところの階段におりるまん中辺まで來て、何をするんですかと言つたところが、やかましいことを言わないでも、ここにはだれもいないよ、こういうことでした。

泉山さんの力はかなり強いのと、その言動、行動が非常に狂暴なものがありまして、しかも私は日本の大臣がこういう行いをなすであろうかということを想像されないような、まことにここで発表することは泉山さんの人格の上からも、私自身も口にいたしたくないような行動を彼はとりました。

そこで私はやむを得ず、彼の力まかせに抱きしめておる中ですから、あちらこちら頭を振りまわしておる間に、私の左あごのところに今傷がついておりますが、彼が多分私の皮膚が切れたのではないかと思うほど非常にひどくかみつきましたので、思わず私は右の手で彼をなぐりつけました。それでやや手がゆるみましたので、私は抱きかかえておる手の下をもぐつて、私はもとの参議院へ帰つて行きました。

これはもう、セクハラというレベルではなく、性的暴行である。しかし、この発言に対して、なぜか山下議員の態度を問う質問があった。

鈴木(仙)委員

山下さんの平素の行為、そのときほんとうにやさしい婦人代議士として典型的な態度をとつておられたかどうか。 

明禮委員長

それからもう一つお尋ねいたしますが、あなたはどのくらい酒を召上りますか。

〔「いらぬことを聞くな」と呼び、その他発言する者あり〕

 

明禮委員長

参考に聞いておるのです。どのくらい召上りますか。

高橋(英)委員

小さいコップですか。


山下春江君

そうです。ウイスキー・グラスのちよつと形のかわつた小さなグラスです。


高橋(英)委員

あなたがおさしになつたのではないのですか、立て続けに……。


山下春江君

断じてありません。

高橋(英)委員

この泉山さんと山下さんは、非常にお心やすいじやないかと聞いたのですが、先ほどの話ではそうじやなかつたのですか。泉山さんに対するあなたの呼びかけは「三六さん」というようにお言いにならなかつたですか。

 

山下春江君

断じて私は大臣に向つて、さような無礼な言葉を使つた覚えはありません。

最終的に、このあと野党は全面的に審議を拒否、泉山三六大蔵大臣は引責辞任と議員辞職に追い込まれた。

さて、結局、彼は、このあと失意の晩年を過ごしたのだろうか?

 

そうではなかった。泉山氏はかえって人気を博し、参議院議員で全国三位の得票数で当選し、十二年もの長きに渡り参議院議員を務めた。

なんと「トラ(泥酔する)大臣」を自称して、本まで出しているのだから、人間の面の皮はどこまで伸びるのか、想像を絶するものがある。

トラ大臣になるまで―余が半生の想ひ出 (1953年)

トラ大臣になるまで―余が半生の想ひ出 (1953年)

 

 一方、山下議員は「隙があった」と批判を浴び、更に、大臣を誘ったのではないかというデマも流布されたようで、落選の憂き目に合う。

作家、宮本百合子もこのように書いているが、これが世間の大半の反応(いや、女性がこう書いているということは、おそらくそれ以上)であったことが推測される。

山下春江代議士の日ごろの態度にもすきがあったことはたしかでしょう。婦人代議士があれほど、「婦人の問題は婦人の手で」といって立候補しながら議会開会の全期間をつうじてその議場の演壇からもっとも雄弁にうったえることができたのが今日の醜態事件についてであるということは、またブルジョア婦人代議士の悲惨なる境遇をものがたっています。

泉山問題について

残念ながら、性的暴行の加害者が免責され、被害者の態度などに矛先が向く、という風潮は、この七十年の間ほとんど変わっていないことがわかる。

普通選挙が施行され、女性初の閣僚が誕生し、野党第一党の党首や衆議院議長などにも女性が就任した。女性議員の数もほんの僅かではあるが増加しつつある。

それでも、何か問題がある時に、被害者の態度などに原因を求めるという風潮は、一切変わっていない。

我々は七十年間で歩みは遅くとも進歩している。そう書きたいところではある。流石に今こんな暴行があれば、二度と政界復帰は出来ないだろう。しかし、昨今の麻生大臣の発言を見ると、その僅かな歩みすらも陽炎の如き幻想であったのではないか、という思いが強くなる。

 

改めて、本会議での山下議員の演説を載せておく。

かくのごときことをこの壇上において言わなければならない 日本國会の婦人代議士が、いかに侮辱されておるかを、満場の皆様は熟知されたでありましよう。

 

こんなことで、日本の民主主義がどうして行われるのか。そういう吉田内閣によつて、このせつぱつまつた國会が動かされるのか。いかに日本國民が不幸であるか。 私は、泉山大藏大臣に侮辱された一身上の弁明を終え、同時に、 かくのごとき内閣によつて、このせつぱつまつた國会が運営されて おる日本國民の不幸を絶叫して、降壇するものであります。

「認める方向で調整」という与党の検討が新聞に堂々載るという異常事態について

 加計学園の獣医学部新設をめぐり、与党は、柳瀬唯夫・元首相秘書官が2015年4月に首相官邸で学園関係者らと面会したことを認めることで国会の正常化を図る検討に入った。大型連休明けに柳瀬氏の国会招致を立憲民主党など野党6党に提案して審議復帰を呼びかける考えだ。

 柳瀬氏が学園関係者との面会を認めれば、安倍晋三首相の友人が理事長を務める学園の獣医学部新設計画を首相側近が早くから知っていた可能性が出てくる。学園の計画を初めて知ったのは17年1月20日としてきた首相のこれまでの答弁も揺らぎかねず、「加計ありき」との批判が再燃することは避けられない。 

 ※よく考えると答弁ではなかったのでタイトルを修正しました

 

 

 この報道が出たとき、何よりまず驚いた。「与党が認める方針」などと言う言葉は、どういう理屈で出てくるのだろうか。

 この報道は「政府が嘘をつかせるように柳瀬氏に指示していたが、どうも隠しきれなくなったので認める方針になった」という以外、読みようがないので、もし事実でないとするなら、とりあえず政府は抗議した方がいいのではないか、と一応ご助言しておく。

 

 記憶を調整したり、事実を認めたり認めなかったりすることを堂々と「調整」するのは、相当異常な事態である。

度々引用するジョージ・オーウェルの「1984」に、このような一説がある。

過去は変更されるだけではなく変更され続けるのだ。

最も彼を悪夢のように苦しめることは、なぜそんな大規模な詐欺行為がおこなわれているのか彼には全く理解できないということだった。

過去を改ざんすることの直接的な利点は明らかだったが根本的な動機は謎に包まれていた

 

The past not only changed, but changed continuously. What most afflicted him with the sense of nightmare was that he had never clearly understood why the huge imposture was undertaken. The immediate advantages of falsifying the past were obvious, but the ultimate motive was mysterious. 

 私もこの主人公、ウィンストンに全く同感だ。これは異常であり、この異常な対応をしてまで何をしたいのか、私には全くわからない。

 このような異常事態が、あたかも「あー、ようやく認めたのか」程度にしか受け取られなくなっていることに、強い危機感を感じる。

 これは、決して普通のことではないのだ。麻痺してはならない。

 

 いずれにせよ、柳瀬氏が極めてハードな努力によって記憶を取り戻すことに成功していたにせよ、あるいは客観的状況からそれを認めざるをえないということを認めたにせよ、それが意味するのは我々はやはり記憶というものを当てにしてはならないということであり、政府の文書管理の責任が大きく問われるということになるだろう。

  歴史は文字によって紡がれるべきである。決して曖昧で都合のいい記憶ではなく。

 

野党合同ヒアリングとは何か ― 国会の代わりではないその存在意義とは

 

 

野党合同ヒアリングとはなんだろうか。まずはこの動画をご覧いただきたい。

 

合同ヒアリングと国会の違い

上の動画を見ていただくとわかるのだが、野党は文科省から官邸に送られたメールについて「調べて欲しい」と要求している。

それに対して、内閣府の担当者はこう答えている。

やらないと行っているつもりはないが、調べるかどうかも含めて検討している

こんな稚拙なやり取りを国会に残すべきではない。

 

国会とは、きちんと国政調査権を使って、資料を明らかにした上で議論をすべきものであり、国会が持っているはずの国政調査権を「検討中」などと言い訳して妨害するような行為は、国会法第104条に反している。

野党合同ヒアリングは決して国会の代わりにならない。このヒアリングで聞いているようなことは、本来国会質疑の前にオープンにされるべきだからだ。

 

と考えると、野党合同ヒアリングとは「国会の審議をする前提」を整えるための場である、と定義することが出来るだろう。

ヒアリング/政調部会とは?

そもそも、与党でも野党でもヒアリング自体はよく行われている。

与党側のヒアリングは全くオープンにならないだけで、昔から政調部会でのヒアリングは官僚といわゆる「族議員」による政策決定のプロセスに置いて重要な位置を占めていると言われていた。

また、野党側のヒアリングも重要である。政府側の主張や実際に行われていることをチェックするため、政府側にデータを求め、そのデータに基づいて追求するのが国会だ。

「データを出してください」などと求めるのはあるべき国会の議論ではない。

 

なぜこのように野党合同ヒアリングが紛糾するかというと(そしてまた、なぜマスコミがここまで集まるかというと)、野党が要求する資料や調査がいっこうに進まないからである。

普通、与党が資料を要求してそれを出さないということは有りえない。ところが、先程の動画にあるやり取りのように、官僚がいっこうに資料を出さないので、吊るし上げるように見えてしまうのだ。

これは「モリカケいつまでやっているんだ」と同じく、資料を出さない側の問題である。例えば防衛省の資料などであれば、機密性が高いことは理解できるが、文科省から内閣府に送られたメール一つ調べないのは、ただの保身でしか無い。

議事録に残ってないの?

正確な議事録もなく、議場外で官僚に答弁を迫る手法には、与党だけでなく、身内の野党からも「単なるパフォーマンスで邪道だ」と突き放す声が出ている。  

読売新聞の記事で上記のような記述があったが、そもそも与党の政調などでのヒアリングも正式な議事録には残っていない。これは「国会の議事録に残るか残らないか」という問題であり、これを理由に批判するのはおかしい。

マスコミフルオープンで、ほとんどの議事録は YouTube などでも視聴できる。

野党合同ヒアリングの課題と今後

野党合同ヒアリングにはいくつかの課題も存在する。合同ヒアリングであるがゆえに、どうしても質問がばらばらになってしまいがちな部分があるし、散漫な印象も受けるだろう。

また、個人的心情としては確かに官邸が抑えているのに課長クラスの官僚に怒ってもなあ、という気もする。

 

しかし、繰り返すが、メール一通すらも調べられない、調べるかどうかも明言できないような政府に対して野党が国会で質疑をすることは不可能である。

なぜなら、データと証拠に基づいて行政監視を行うのが国会だからであって、今やったところで、ヒアリングと同じレベルの「出す」「出さない」の話になってしまうことは明白だ。

そもそも、このような追求型のヒアリングこそ、今の政府の機能不全を表していると言えるだろう。

審議拒否とその理由 ― 野党は「審議したフリ」をすべきではない

野党の審議拒否に対して、与党からの批判が強い。

(私は決済したデータを書き換えるほうが恥ずかしいとは思うが、それは個々人の認識の違いだろうか)

 

さて、考えていただきたいのは、なぜ国会が開いているか、だ。

 

答えを言うと、開いたからだ。別に禅問答ではない。委員長が開いたから開いたのだ。

 

審議拒否については一旦置いておこう。

野党に批判的な方々は、そもそも今委員会を開催する必要があると考えているだろうか。

なぜ今ここまで国会が紛糾しているかといえば、それは財務省のデータ書き換えや財務省の改ざんなどがあったからだ。

これが問題であることは、ほとんどの人が認識を共有しているはずだ。

 

しかしながら、現状、その改ざんの実態はほとんど明らかになっていない。例えば財務省のデータ書き換えに関しては、元の間違っていないデータがまだ出ていない。

更に、防衛省の日報問題などについても、調査中のまま全く実態は明らかになっていない。

 

一般企業の会議で例えると、会議で出したデータが間違っていた。しかし、元のデータを出す気はなく、「明日また会議をやります」と言っている。

それは果たして効果的な会議のあり方だろうか。

 

そもそも、行政府の信頼を揺るがしている問題に対して、与党が未だ何ら有効な打ち手を打てず、一体何が真実で、何が嘘なのかがわからない状態を放置していることが異常であり、この状態のまま国会をやったところで、何ら有効な成果が出ないであろうことは容易に予想される。

なぜならば、そもそも野党が要求していることは「データ出してください」「ちゃんと証言してください」「ちゃんと調査してください」というレベルのことで、それは国会で審議するのではなく、行政府が責任を持って行うべきことだからだ。

一言付言しておくと、私は要求の中に麻生大臣の辞任を入れたのはあまり筋が良くないとは思っている。失言製造機と化した麻生大臣が辞任しないのは全く不可思議ではならないが、国会が正常でないことのほうが重大であるからだ。

 

私は空回しは日本の国会システムにおける最大の無駄であると考えている。しかし、その責任は開いている方にある。だって野党は出ないって言っているのだから。

柳瀬さんを証人喚問でもしておけば交渉の余地が出来る。更に言うなら、法案を先送りすればこの無駄な時間を過ごす必要もない。

しかしながら、政府与党は働き方改革法案の審議を優先させるため、国会が空転させることは承知の上で、総理と副総理を二時間も何もせずに国会に縛り付けているわけだ。

mainichi.jp

 

いまわざわざ国会を開きたい人は、一体何を審議したいというのだろう。ハリボテのデータと、記憶を無くした人たちの答弁と、調査中で何も言えないという官僚の報告を聞きたいのだろうか。

いくら国会マニアといえど、そんなものは辟易とするはずだ。

 

 

データが正確ではない、資料も出てこない、誰もが記憶をなくしている。そんな国会審議は、単なる審議ごっこにすぎない。やる必要がない。野党が出席しようがしまいが、既に国会は壊れている。

野党が出席していなければ「なにかおかしい事が起こっているな」と国民は思うだろう。まあ、「野党がサボっている」と思う人もいるかもしれないが、それは仕方ない。唯々諾々と審議に応じていれば、立法府は正常に機能していると誤解されてしまう。

今野党がやるべきなのは、国会にお行儀よく出席して「資料を出せ」「調査中だ」などという噴飯物の国会ごっこをするのではない。国会が壊れていて、機能していないことを、国民の多くに共有することではないだろうか。

 

税金泥棒は、一体どちらなのだろうか。

政党名の変化から探る ― なぜこんな党名になってしまったのか選手権

党名の由来を集めてみました。

日本を元気にする会

名称について松田は、"会派設立届けの提出締切の直前に事務所で昼食を取りながら会派名について相談するなか、中々全員がピンとこないでいたところ、たまたま思い付きで「ここにいるメンバーは、しがらみなく、日本を元気にしたいと言っている。シンプルに『日本を元気にする会』も良いかもしれませんね」と言ったところ、その場にいた全員が思いのほか「いいね!」と賛成した"ため。としている

 

Wikipedia より

みんなの党の解党後、会派に残らなかった松田公太氏などの議員が立ち上げた政党。海賊党の仕組みなどをモチーフに直接民主制に近い仕組みを、一部導入していた。

アントニオ猪木議員とは関係がない(松田氏談)らしいが、全員がピンときた理由は猪木氏ではないだろうか。

たちあがれ日本

平沼は、新党名として自身が「日本保守党」を挙げたところ、石原に「ださい。」と一蹴され、「がんばれ日本」との案が固まったが該当名称がJOCに商標登録されていたために断念したとのエピソードを語っている。

 

Wikipedia より

郵政民営化依頼無所属で活動していた平沼赳夫議員と、自民党を離党した与謝野馨議員が徹底的な反民主」を党是に掲げて(反対ばかりの野党は駄目なんじゃないのか)結党された、第二保守政党。

党名に関しては、平沼さんがかわいそうという印象しかない。

生活の党と山本太郎と仲間たち

「数日前に小沢氏と山本氏が会談した。山本氏は既存政党に所属するのを良しとしないため、“無所属の会”に党名を変更するなら加わるとの考えだった。ただ、小沢氏も“生活”の名を残したい。結局、両者が譲らないままの妥協案で出たのが“生活の党”に“山本太郎となかまたち”を加えた政党名だった」(永田町関係者) 

 

東スポより

「日本未来の党が」分裂後、「生活の党」として活動していた小沢一郎代表が、政党要件回復のために政界の暴れ馬・山本太郎氏を引き入れた際に変更した党名。

なぜ妥協してその名になったのかは永遠の謎。

フロム・ファイブ

政党名は、「5人でメッセージを発信していく」を意味する。 

 

Wikipedia より

新進党分裂の際、細川護煕元総理が立ち上げた(実は自由連合の党名を変更しただけが)政党。

細川護煕さん・樽床伸二さん・円より子さん・上田清司さん・江本孟紀さんという、キラ星の如き個性派議員が集ったスター集団。

細川さんは元総理だし、樽床さんは希望の党の会見に出てくるくらい偉いし、円さんは未だに出馬するくらい政治への思いが強いし、上田さんは埼玉県知事として盤石だし、江本さんはカーブを何種類か使い分けて通算113勝もしている。

反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党(略称 反TPP)

我々は先ず現在の国民にとって緊急の課題である、「反TPP・脱原発・消費増税凍結」を掲げ、国民と国土を守るために決起します。

 

党HPより

総選挙を目前として混乱した民主党から離党した山田正彦衆院議員と、国民新党のお家騒動で無所属となっていた亀井静香衆院議員が立ち上げた政党。

立ち上げ表明の3日後に減税日本と合流して「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」 になり、その更に5日後には日本未来の党の結党に参加して使命を終えた。

英語名は「Tax Cuts Japan – Anti-TPP – Zero Nuclear Party」

 

新党改革 

 なお、新党改革の旗揚げに際して、代表の舛添は略称を「ますぞえ新党」とする方針を表明していたが、公職選挙法86条の7第1項後段は、届出る政党の名称や略称に代表者の氏名を類推させる表現の使用を禁じており、中央選挙管理委員会が認める見込みがないことが判明したことから、この略称使用は幻に終わった。

小沢一郎民主党代表の党運営に反発し、離党した渡辺秀央衆院議員と、田中康夫氏を代表とする新党日本から分裂した荒井広幸参院議員などが立ち上げた政党。

舛添代表の就任と退任、幻に終わった家庭ノミクス、議員のトレードたちあがれ日本との統一会派、安保法案の付帯決議、高樹沙耶さんの擁立、山田太郎元参院議員が最後に所属など、国会の陰日向で波乱万丈の生涯を生き抜いた。

中村喜四郎氏や(幸福実現党唯一の国会議員である)大江康弘氏、西村眞悟氏など、比較的短期間在席/会派に所属した個性の強い議員も多かった。

「ますぞえ新党」であれば別の意味で憲政史に残っただろう。

おおさか維新の会

「『おおさか』は、地域の名前じゃない。大阪でやっている改革の象徴だ」

街頭などで「サッポロビールは札幌だけで売っているビールじゃない。全国で飲まれている」(下地幹郎・国会議員団政調会長)として、有名ブランドを引き合いに、地域限定の党ではないことを強調する。

江田派と分裂した維新の党(松井・馬場派)が再び純化路線のため立ち上げた全国政党。地域政党の「大阪維新の会」とは別の政党としてスタートした。

サッポロビールとは違い、おおさか改革マインドの全国化には失敗したのだろうか。 

新党きづな

党名の由来になったのは、2011年度(平成23年)の今年の漢字で「絆(きずな)」が選ばれたことである。

当初の党名案は「新党きずな」であったが、「絆」という言葉の語源が「綱」や「つなぐ」だとの意見がメンバーから出たことから、最終的な党名は「新党きづな」となった。

 

Wikipedia より

野田佳彦総理の消費税増税に反対した民主党議員が結党した政党。後に同じく離党した小沢一郎氏の政党「国民の生活が第一」に合流。

「今年の漢字」で選ばれたから政党名を付けるという謎発想。微妙に漢字の読み方でオリジナリティを出そうとしているあたりが……。 

番外編 かっこいい政党名

緑風会

戦後に存在した無党派の会派。参議院は衆議院とは違い、党派を持たない。という建前で作られ、是々非々を貫いたものの、政治である以上利害関係が絡まないはずもなく。結局、与党の草刈り場になってしまった。今は民進党・新緑風会にその名を残す。

立憲帝政党

民権運動に対抗して結成された御用政党。「立憲」と「帝政」というこの二つのごつい単語が組み合わさってかっこ悪い訳がない。 

改進党

まだこの時代、「改」も「進」も手垢がついていない。

琉球民主党・琉球人民党

本土復帰前、事実上自民党と共産党の沖縄県連だった政党。「琉球」という文字がかっこいい。

新生党

竹下派から独立した小沢・羽田派の政党。非自民・共産による細川連立内閣で強い影響を保ち、後の新進党・民主党の系譜を作った。

「新党」という言葉は、その後手垢が着きまくってしまったけど、このころは非常に清新な印象があった。

あと、ロゴはシンプルで、力強く、優れた政党ロゴの一つであると思う。

 

Japan Renewal Party Logo

野党のパフォーマンスは悪なのか?

 とりとめのない話をする。

 昨日、立憲民主党の衆院議員、尾辻かな子さんが、セクハラ被害者に対して連帯を示すために、アメリカの#metoo運動になぞらえて(あるいは、それに連帯したアメリカ民主党の議員になぞらえて)黒い服を着ることを提案した時、私はどうせ、批判されるのだろうな、と想像していた。

 尾辻議員は、日本ではじめてのLGBT議員であり、ジェンダー問題に関しては第一人者でもある。

 

 メディアでは一定程度取り上げられた。「パフォーマンス」としては、それなりの効果があったのではないか。

 私の予想通り、様々な批判を浴びた。はてなブックマークですら批判的なコメントがほとんどだった。

 

 

野党のこういう絵面重視(だけどキレイじゃない)、キャッチフレーズ重視(だけどすべってる)のが本当に見ていてつらい。つらすぎる。そして中身が頭に一個も入ってこなくなる。普通に抗議してお願いだから。

 私は、批判を見ながら、トップページにあるコメントのこの意味を、ずっと考えていた。この方を批判しようということではない。多くの星がついていることから考えても、ネットのある意味マジョリティの意見なのだろう。

 この方の言っている、「普通に抗議」とは何なのだろうか。「普通の服を着て、普段のまま、普通に抗議する」ことを求めているのだろうか。

 もし、セクハラ問題に対する抗議が正当なものであるとしたら、「つらすぎる」のはなぜなのだろうか?

 すべってる、とはどういうことなのだろうか。セクハラ問題は、受けを狙ってやっているわけではない。それは、すべるような性質のものなのだろうか。

 キレイじゃない、のは仕方ないかもしれない。色々不十分な点はあるだろう。たった一人が提案したことだ。しかし、被害者女性への連帯を示すことが仮に「パフォーマンス」であったとして、それがいかなる悪なのだろうか。 

 

 あえて問う。国会議員がパフォーマンスをしなかったら、誰がパフォーマンスをするのだろうか。誰が社会問題を提起し、誰がそれを訴えるのだろうか。

 一体、そこに我々は何を求めているのだろうか。

 

「#metoo」を当事者以外がやるのはいかがなものか、というコメントもあった。しかし、#metooという言葉の意味をわかっているのだろうか。「私も同じ」である。

「#metoo」 運動は、そもそも、被害を訴えた女性だけでなく、「自分たちも性差別の当事者である」ということを、様々な社会的地位のある女性(とりわけハリウッド女優)が訴えることで、単に個別の被害ではなく、構造的に存在する性差別を解消しようという運動だ。

 そして、国会議員ほど、性差別の最前線に経っている人間はいないだろう。なにせ、本邦の議会は世界にも類を見ないほどの男社会であり、要職を女性が占めることは殆ど無い。

 「選挙目当てのパフォーマンス」という紋切り型の語句が存在する。しかし、パフォーマンスは悪なのだろうか。

 例えば、選挙演説はパフォーマンスなのだろうか。仮に、選挙演説がパフォーマンスであり、やってはならないとすると、国会議員がやることは一体何になるのか。

 国会議員の仕事は国会での質疑だ、というご意見もあるだろう。しかし、果たして何人が、NHKで中継されていない国会の委員会をきちんと視聴しているのか(私はかなり国会を見ている方だが、それでも五分の一も見られていない自覚はある)。

「#metooの政治利用」などという頓珍漢なコメントもあったが、もともとセクシャルハラスメントも、#metooも、極めて政治的なイシューである。男女共同参画は政治が解決するべき問題だからだ。しかも今回は財務事務次官の問題なのだ。何が政治利用なのか理解に苦しむ。

 

 私が野党に求めるのは、問題提起である。それは言い換えればパフォーマンスとよんでもいいのかもしれない。

 まずい法律、まずい閣僚、まずい国会運営を、きちんと国民に知らしめるのがパフォーマンスである。

 それが下手だ、というような批判は当然あってしかるべきだろうが、「パフォーマンスだ」ということが直接的に批判になるのは、全く理解が出来ない。

 

 野党のパフォーマンスが嫌いだ、という言葉は「女は黙ってろ」というのと、何が違うのだろう。

 力弱い者、実際に動かす権力がないものは黙ってろ、という言葉と、一体何が違うのだろう。

 私はもちろんセクシャルハラスメントを問題提起するのには賛成だ、という方もいるだろう。であれば、どんなに下手なパフォーマンスであれ、それを飲み込んで、もっといい連帯の仕方を、パフォーマンスの仕方を考えるのが、やるべきことではないか。

  

 あえて申し上げたい。ただ批判して傍観しているなら、あなたは被害者か、加害者、どちらになるのだろう。

 例えば、こう考えてみてほしい。日本が大きな災害にあう。海外の国の政治家が「日本頑張れ」というセレモニーをする。

 その時、同じような批判は出るだろうか?

「パフォーマンスだ」

「見せ方がヘタで辛くなる」

「便乗しているだけ」

 というような言葉は出てくるだろうか?

 

 あなたは、セクシャルハラスメントというものを、軽く捉えていないか。

 セクシャルハラスメントに連帯を示すパフォーマンスが悪なのか。それを批判し、揶揄するのが悪なのか。もう一度、考えてみてはいただけないだろうか。

 

 批判されるべきは、こういう議員であるはずだ。

総理の本音

お酒が入ったときにこそ、四十代・五十代の紳士淑女から、思わぬグロテスクな本音が聞き出せる、ということがある。

この間も、さる業界の大物で、人品卑しからぬ紳士から「 #metoo とか言ってるけどさ、枕営業して得をしてた人が今更グダグダ文句をいうのもねえ」という言葉を酒席で聞き、やんわりと「まあ、今は時代が違いますからね」としか言い返せなかった自分に腹が立ったものだ。

一皮むけば、社会的に尊敬されている方が存外醜悪な考え方をしていることもある。

 

世の中には、(私にはちょっと想像もつかないが)万引きだったり、傘の盗難であったり、「大して金額の大きくない窃盗」を、さも武勇伝であるように語る人がいる。

例えば、100円の消しゴムを盗んだとする。ある人にとって、窃盗は金額にかかわらず犯罪であるが、ある種の人にとって、それは金額が小さいから、犯罪ではない。

 

更に不思議なことに、被害者の声に対して「こんな小さなことで誰かが辞めされられては困る」というような反応すら、必ずある。

 

そういう世の中の「見えない分断」を目の当たりにするに連れて、私は総理の本心というものがよく理解できるようになった。

今回の予算委員会の意味不明・非生産的・ふざけた答弁を見ていて、その思いは更に強まった。

総理の本心とは「なんでこんなことで大騒ぎしているの?」である。

 

考えてみてもらいたい。もし本当に、安倍総理を熱狂的に支持する人たちが、総理の関与を信じていなかったとすれば、今回の「総理案件」文書が出てきた時に激怒して、ふざけるな俺の信頼を裏切ったのか、と殴り込みに行くはずだ。

要は、彼らも、あるいは自称経済学者や自称物理学者や自称政治学者も、結局のところ総理が関与していないなんてハナから信じていなかったのだ。

というか、当たり前である。そんなのは小学生程度の知性があればわかるし、彼らはそれほど馬鹿ではない。要は、全部知っていて、それでも「馬鹿が騒ぐから」程度の気持ちで、無理筋なロジックを適当に組み上げているに過ぎない。

 

要は、彼らにとって森友学園の8億円の値引きや、加計学園だけに特定して緩和された国家戦略特区の制度は、100円の消しゴムを万引きした程度の話なのだ。

そして、それに対して、そもそも対した問題ではないのだから、どのような隠蔽やごまかしをしたとしても、問題がないと考えているのだ。

 

まあ、8億円の値引きや、特に需要の見込めない獣医学部の認可が「小さい問題」なのかについては置いておこう。しかし、その「小さい問題」を隠すために、隠蔽や改ざんやごまかしをしてきたことは、どう評価すべきだろうか。

私は、100円の万引きをごまかすために、万引きしたものをドブに捨てて「何も持ってないですよ」と嘘をつく行為をどう考えるだろう。

私は悪質極まりないと思うが、世の中には「100円くらいなんだから何してもいいじゃん」と考える人も、どうやらいるらしい。

とすると、総理のグロテスクな本音である「この程度のこと、グダグダ言うなよ。はいはい、とりあえず答弁しておきますよ」というような意志に基づいた答弁が、国民から一定の支持を受けるのも、やむを得ないのかもしれない。

 

思想に共鳴した学校への8億円の値引きも、友達のために国家戦略特区を作ることも、ある種の人にとって小さな話なのかもしれないし(そういう人は大抵『国会ではもっと議論する問題がある。例えば北朝鮮とか』などと述べている)、その小さな話で総理が辞めるのは困る、と思う人はいるのだろう。

そして、その小さな問題で辞めないために、「多少」書類をごまかしたり、「多少」嘘をついたりするのは、かまわないのかもしれない。

「ちょっと尻を触ったくらいで、首にさせられる社会は怖い」と言っていた男性の方がいた(それは流石に数年前だが)が、同じような感覚なのかもしれない。

 

まあ、ともかく。茶番はやめよう。総理を支持する人だって、総理が今、嘘をついていることは多分理解しているのだ。それが問題であると思っていないだけで。

だとすれば、嘘は嘘だと認めた上で、堂々と議論をすれば良いのだ。

そこから始めよう。随分長い道のりで、どこかにたどり着く保証もないのだが。

虚構の内閣

「オズの魔法使い」の最後。スクリーンが倒れると、偉大なる魔道士であったはずのオズの魔法使いはオマハから来た、ただの詐欺師だったことがわかる。

 この2ヶ月ほどで、安倍政権のスクリーンもまた、倒れた。

 

イラク日報:発見3日後に「ない」 陸自研究本部が隠蔽か - 毎日新聞

裁量労働制:1時間以下、実態反映せず 厚労省が調査公表 - 毎日新聞

森友問題:口裏合わせ 佐川氏認識か 学園側に理財局要請 - 毎日新聞

「本件は、首相案件」と首相秘書官 加計めぐり面会記録:朝日新聞デジタル

 

並べ立ててみればわかる。捏造と隠蔽と改ざんと口利きのフルセットだ。つまり、これは、第二次安倍晋三政権が、いかに国民を騙してきたかということの証拠である。

「一強多弱」「安定政権」と呼ばれた安倍政権は、それまで盤石であるように見えた。不思議なほど、決定的なスキャンダルはなく(まあ、決定的であると評価する人もいるだろうが)、安保法案を通しても、消費税を延期せずとも、解散の理由が特に無くとも、魔法のごとく、その支持率を保っていた。

 

 しかし、魔法はなかった。結局のところ、安倍政権は、嘘とごまかしによってその権力基盤を保っているだけだった。

 首相の魔法がスキャンダルを抑えていたのではなく、単にこれまでの内閣がやらないような捏造と隠蔽によって野党の攻撃を交わしていただけだった。

 ランス・アームストロングが不屈の精神力でカムバックし優勝をもぎ取ったのではなく、単なるドーパーだったのと同じように。

 

「安倍外交」は、結局のところ何も機能していなかった。

約束したはずの物価上昇率2%は未だに達成されないままだ。

魔法は、とけたのだ。

 

山本七平はこのように言っている。

「陸軍の能力はこれだけです。能力以上のことはできません」と国民の前に端的率直に言っておけば何でもないことを、自らデッチあげた「無敵」という虚構に足をとられ、それに自分のが振り回され、その虚構が現実であるかの如く振舞わねばならなくなり、虚構を虚構だと指摘されそうになれば、ただただ興奮して居丈高にその相手をきめつけ、狂ったように「無敵」を演じつづけ、そのため「神風」に象徴される万一の僥倖を空だのみして無辜の民の血を流しつづけた、その人たちの頭の中にあったものこそ血ぬられた「絵そらごと」でなくて、何であろう。妄想ではないか。  

一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)

一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)

 

 

 未だに安倍政権の存続を願う人の心理は私には理解できる。それは、終戦間際になっても本土決戦を心に誓っていた人たちと似ているのではないか。

 自ら信じていたことの全てが虚構であったという現実に耐えられる人は、そう多くはないだろう。

 

 私は非常に虚しい気持ちだ。どのような政権であれ、国民からの信任を受けて政策を遂行している限り、それは尊重されるべきだ。

 しかし、その信任そのものが、虚構によって演出されたものであった、ということは、この数年間の政治的な意味での前進は、ゼロに等しいということになる。

 結局のところ、戦後、都合の悪い書類を焼き捨てた国家から、我々は一つも前進していなかったということだろうか。いや、少なくとも、我々は焼き捨ててはいない。メモを書き残していた人たちはいたのだ。内閣がそれを隠していたと言うだけで。それは最後の希望なのかもしれない。

 

 

 安倍政権のかけた魔法がとけた後、誰が総理大臣になるにしてもその道は困難なものになるだろう。安定政権を望むことは難しい。

 いずれにせよ、安倍政権がたかだか数年延命する、ということに対して払った対価は、あまりに大きい。それは、この国の未来と信頼そのものだった。

 

 彼らは、正しい意味で国を売ったのである。

野党を批判せざるを得ない人たち

 

どんなに無理筋に見えようと、野党批判せざるを得ない人達というのがいる。

それは個人的理由なのか、思想信条的理由なのか、あるいはビジネス的な理由なのか分からない。しかし、中立を装い、なおかつ多数の賛同を得るためのツールとして、「与党も問題がある、しかし野党も」という言説を用いる人もいる。

私はそのような人間の心性には興味がない。しかし、その有害さは指摘しておかなくてはいけない。

 

今回の財務省公文書改ざんに関する問題を例に挙げる。この問題において糾弾されるべき、あるいは制度を変えるべきなのは、行政である。

この問題は立法府が担保されるべき国政調査権であったり、あるいは質問権といったものが、行政府によって侵害されたという事案だからである。

ごくごく一般的な脳みそを持っていれば、立法府の議員に対して瑕疵を問うという理論自体がおかしいことが分かる。

もし仮に瑕疵、あるいは追求ができなかった原因が立法府にあったとしても、立法府の現在の構成員はほとんどが与党・自民党あるいは公明党だ。

すなわち、立法府の責任を取る、という点において最も責任を問われるべきは与党であり、野党ではない。

野党を批判している者たちは多くは、野党の力不足を主張している。しかしながら、力不足を解決する唯一の手段は議員の数を増やすことで、つまり彼らは与党に立法府としての能力、あるいは行政の監視能力がないと考え、野党の議席を増やそうとしているのであろうか。

おそらく多くの方はそういうスタンスを取っていないだろう。

問題は、与党と野党の責任を平等に追及する行為がまるで中立であり、理にかなった態度であるかのように捉えている人が多いということだ。

しかしながら、行政に責任があるものを立法府に転嫁するという行為は、語義通りに責任転嫁と言うべきものであり、なおかつ立法府において多数を占める与党の立法としての監査責任を問わない態度は、およそ中立とは言い難い。

はっきり言えば、権力主義でしかない。

 

彼らは、なぜ野党を批判せざるを得ないのか。

問題は立法府がその信頼を失っていることにある。例えば先の佐川前国税庁長官の証人喚問において、もちろん野党側の質問に対してよりこうすべきだったという改善点は述べられるかもしれない。

しかし、丸川珠代議員あるいは石田真敏議員などの質問は、茶番と呼ぶしかないものであった。野党側の質問が力不足だとしても、彼らは最初から追求する気がなかったのは明白だ。

 

問題は、このような与党側の茶番的質問が、立法府の信頼そのものを毀損しているということである。

不思議なことに、与党自由民主党が立法府で馬鹿げた質問を繰り返せば繰り返すほど、立法府の信頼は落ち、行政府の力は強まる。

まさにこの数年マッチポンプ的に、そのような茶番的質問を繰り返し、行政府の監視という、立法府の、あるいは代議士・国会議員としての良心、誇り、そして責務を放棄してきた与党自民党の国会議員の責任は極めて大きい。

 

忘れてはならないことは、疑似政権交代と言われた自民党内での権力闘争は、まさに相互の厳しい監視によって担保されていたということである。

与党自民党の議員が、一定程度権力の監視という立法府の責務を果たしていたからこそ 、自民党内の自浄能力が働き、結果的には社会党などに政権を渡さなかったのである。

 

しかし、取り分け安倍政権になってからの、自民党の立法府としての誇り・良心は消え失せてしまった。

立法府の一員としての矜持を持たない議員が増えた、ということでもある。

 

自民党の松川るい議員が、「日程闘争なんて後進国みたい」というツイート(削除済み)をされているのを見た時、私は驚愕した。そもそも、参議院の予算審議というのは30日ルールがあるので、日程闘争とは何の関係もない。日程闘争とは、会期末まで法案を審議せずに、廃案未了に追い込むことだ。予算は自動的に衆議院に差し戻されるので日程闘争の意味がない。

「後進国」とおっしゃっている(これ自体も差別的発言ではあるが)が、会期不継続の原則や会期独立の法則はそもそもイギリス議会を元にしていて(現在は法制度が整備されているが)、立憲君主制に見られるものだ。立憲君主国家が後進国だというのだろうか。

しかし、問題はそういう知識不足にあるのではない。この時野党が要求していたのは、財務省が資料を出すことである。あろうことか、改ざんされる前の資料を出せ、ということが日程闘争であり後進国的だと主張していたのだ。

行政府を監視する立法府の一員としての自覚はかけらでも存在するのだろうか。

 

松川議員に、立法府の一員としての誇りは欠片も見当たらない。そこに存在するのはサラリーマン根性とも呼ぶべき、上司への忠誠、あるいは権力への生々しい憧憬だけである。

 

自民党は安倍政権以降、一貫して立法府の能力を弱め、立法府の誇りを毀損し、その立法府を貶めることによって行政府の力を強化してきた。

このような態度は決して許されるべきものではない。かつて政治家と政治屋という対義語が流行った時期がある。政治を職業として、ファミリービジネスとして捉えてきたことの弊害がここにある。

そして、彼らを擁護し、野党を馬鹿にすることで、立法府を馬鹿にするようにして、行政府の力を強めてきた言論人の責任もまた大きい。

 

もう一つ、私が驚愕したツイートを紹介する。

どんなときであれ、国会議員の名前があるということがどれほど大きいものなのか、小野田議員はご自身で言及されている(知らないうちに使われるくらいには)。にも関わらず、「利害関係者では?」といぶかる声に対して「滑稽」とまで語っている。

国会議員の名前の重さというものを、全く理解されていないのではないだろうか。

 

総務省では、「後援団体からの寄附」と「政治家の関係会社などからの寄附」を禁止している。後援会長はご自身の認識は別にして、密接な関係者であろう。

総務省|寄附の禁止

 

これを小野田議員が何のてらいもなく、あっけらかんと「後援会長ですけど、利害関係者ではないです」と公言していることに、非常な違和感と危機感を覚える。

 

自民党の国会議員には、非常に優れた方が多数いるのも事実だ。しかし、本当に立法府の一員として、権力を監視する、民主主義と国民主権を守るという代議士の本義を忘れていないといえるだろうか。

サラリーマン的に、官僚的に、ただ上に従い、お世話になった人に恩返しをする、ということだけを繰り返してはいないだろうか。

この種の言説は、馬鹿げて見えるのかもしれない。しかし、それこそが安倍政権が日本に与えた最も大きなダメージなのではないだろうか、と思う今日このごろだ。 

社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学

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既に死んでいた日本の民主主義について ー 財務省・文書改ざん問題に思う

 財務省による文書改ざんが明らかになった。


 冒頭申し上げたいのは、これは安倍政権だけの問題ではないということだ。もちろん安倍総理の責任は免れないし、昭恵夫人の関与が明らかになった以上堂々と議員も総理もお辞めになるものと思っているが、森友学園が昭恵夫人の意向が働いて格安で土地を購入したことは、まともに政治を見ている人間なら誰もが知っていた話だ。そういう意味で、何も新しいことはない。

 言うなればちゃちな話だ。権力というものを勘違いした昭恵お嬢様が周りを振り回し、夫人付はイタリアに飛ばされ、籠池夫妻は独房で閉じ込められた。酷い話だが、こんなことは誰もがわかっていた話だ。

 本気で安倍夫妻が関わっていなかったと思っていたのは、よほどの馬鹿だけだ。

 

 しかし、財務省が省ぐるみで文書改ざんし、会計検査院がそのことを把握していたにも関わらず隠蔽していたとなれば、これは民主的国家としての存亡に関わる話だ。

 発端は安倍総理だろう。自分や妻が関わっていたら辞める、などと言ってしまったがために、嘘を糊塗するために文書の改ざんが必要になったと考えるのが自然だ。

 

 問題は、多くの場合、バレないウソを付くことは、あらゆる選択肢の中で最も合理的であるということだ。 

 例えば、日銀の岩田副総裁は、物価目標達成出来なければ辞めると言いながら居座ってひんしゅくを買ったが、もし物価統計を弄っていればスーパー副総裁として諸手を挙げて歓迎されただろう。

 安倍総理が「物価目標を達成できなかったら私は辞める」などと言わなかったことに心から感謝したい。

 実際に起きた事案でもそうだ。厚労省のデータ問題でも「裁量労働制は働き方改革だ」などと無理筋の議論の中に「裁量労働のほうが労働時間が短い」というデータが有れば、批判をかわすことが出来る。

 防衛省の日報問題も、最初から「戦闘」などという文字が存在していなかったことにしてしまえば、問題にされることもない。

 一度カンニングをしてしまった生徒は、真面目に勉強しなくてもなんとかなる、と覚えてしまう。

 そのような意味で、様々な省庁で、このような自体が常態化していたのではないか?という疑問がまず湧くだろう。

 

 正直に言って、この点を一体どのように解決すれば良いのか、私には全く解が見えない。本来省庁の適切な予算執行をチェックする、独立した機関であるべき会計検査院までがこの問題を把握していたと質問に答えたのだ。正直に言って、何をどうすればいいか私には分からない。

 無理筋な答弁をするのは、民主主義国家では許容範囲だ。しかし、改ざんをしてしまっては、議論の前提が成り立たない。

 なぜなら、立法府が行政府に対して説明責任を求め、それを見た国民一人一人が投票をし、我々の選良を選ぶことが民主主義の前提だからだ。

 予算の執行やあらゆる政策に関して、嘘偽り無く政府が回答していることが選挙を行う上でも大前提になる。

 その意味で、安倍政権は民主的に選ばれた政府とも言い難い。

 

 これは氷山の一角である。一つ公文書改ざんが発覚したということは、その裏に発覚しない改ざんがあると考えるべきだ。

 我々は、民主的政府が存在する前提を既に失っている。

 このような自体が発覚した上で会計検査院の存続が可能かどうかも分からない。しかし会計検査院がなくなれば、予算をチェックする機能を事実上日本は失うことになる。

 また、行政府から出されたデータが本当に正しいものなのか、あるいは正しいものだったのか、これからいちいちチェックするわけにも行かないし、さりとて信用するわけにも行かない。つまり、立法府による行政の監視に関しても機能不全に陥る。

 

 安倍晋三という一人の議員は、決して極右的思想を持っている人間ではないと私は考えている。むしろ、思想的にはゼロに近い。学生自体もノンポリだった。

 安倍さんという人は、ただ単に周りに影響されやすく、政治思想や強い意思を持たない凡庸な人間であると考えたほうがいいだろう。

(それらについては、青木理さんの書かれた書籍に詳しい)

安倍三代

安倍三代

 

 

 問題は、安倍政権の元で行われた様々な問題に、チェック機能が働かせる人が誰もいなかったことだ。与党も、官僚機構も、全くストッパー足り得なかった。

 もし仮に、将来遥かに破壊的思想を持った人間が総理大臣になった時、一体誰が歯止めをかけるのだろう。

 

 私は以前の記事で「腐敗国家とは、悪がなされ、それが見過ごされる国家である」と書いた。

 

 悪はなされ、それが見過ごされただけではなく、その悪に合わせて現実を改ざんせんと文書が書き換えられた。これが日本の現実だ。

 

 日本の民主主義が死んだ、というのは適切ではない。日本の民主主義は既に死んでいたのだ。これからはそれを蘇生する作業になる。

 生き返るかどうかは、誰も知らない。