加計学園と森友学園を巡って、政府が答えるべきたった二つの質問
安倍総理をめぐる二つの疑惑
岡山県の学校法人、加計学園グループの理事長への国家戦略特区の適用をめぐる疑惑。
大阪府の学校法人森友学園への土地の八億円の値引き疑惑。
「読む国会」では、かねてより、行政府はこの二つの問題に対して、すべての証拠と記録を国民のもとにオープンにし、かつ説明責任を果たさなくてはいけない、と書いてきた。
民主主義の最低条件は、(外交や防衛などを除いて)全てのプロセスがオープンになり、政府が適切な説明責任を果たすことである。
では、政府が果たすべき説明責任とはなんなのだろうか?
- 森友学園の問題に対しては「なぜ大阪音大ではなかったのか?」
- 加計学園の問題に対しては「なぜ京都産業大ではなかったのか?」
重要なのは、この二点だ。これに答えるだけでもいい。しかし、未だ政府の側から納得の行く説明は出ていない。
なぜ大阪音大ではなく、森友学園だったのか?
平成24年10月、当該土地の登記が新関空会社に移転される。しかし大阪音楽大学から土地購入の意向が示されていたとの理由から、平成25年1月に登記を再び国に戻すが、同音大は平成24年7月の段階で既に土地取得を断念していた。そして平成25年9月、森友学園が土地取得要望書を提出する。
— 玉木雄一郎 (@tamakiyuichiro) 2017年3月4日
森友学園に売却された大阪府豊中市の国有地について、同市の大阪音楽大学が2012年に7億円で購入する意向を国側に示していたことが分かった。価格面で折り合わず売買は実現しなかった。
森友学園は13年9月に同じ土地の取得を正式に国に要望。16年6月、ごみ撤去費など8億2200万円を減額した1億3400万円で購入した。ヒアリングで、財務省理財局は「(売買の打診があった当時)8億のごみは見つかっていなかった」と説明した。
森友学園の問題については、既に森友学園の前に、大阪音大が七億円の金額を提示していた。しかし、この際には金額が折り合わず諦めることになった。
ところが、森友学園の要望が出た途端、今まで見つかっていなかったゴミが見つかり、減額されることになったようだ。
もし仮にこれが本当であったとすれば、なぜ、大阪音大が要望した時に土地を調査すらしなかったのだろうか?調査していなかったけど見つからないレベルのゴミだったのか?
もし仮に大阪音大の時に、八億円も減額するレベルのゴミを見落としていたとすれば、それはそれで大きなスキャンダルである。意図的に情報を隠していたということになるからだ。
そうでないとすれば、そんなクリティカルなゴミを見逃すとは、どんな調査を行っているのだ、ということになる。
なぜ京都産業大ではなく、加計学園だったのか?
木内孝胤議員 存在しない地域に、ということで、空白区に限定しているわけであります。三校が提案しているところで、京都産業大学を締め出すようなルールの変更をしたのか、理由についてお聞かせいただければと思います
山本幸三大臣 いまご指摘された事項は、いずれも慎重な意見が根強い中で、いち早く規制緩和を実現するために定めていったものでありまして、そういった批判は当たらないと考えております。
木内孝胤議員 京都産業大学は1989年に生物工学科を設立して、2006年に鳥インフルエンザセンターを設立、2010年に動物生命医療学科を設立しています。京都という地の利を活かして、iPS細胞との連携もしている。
今から設立を目指しますという学校と、これだけ出来上がっていて、設立場所も決まっている学校。パンデミック対策はとても大事なんです。ここまで不可解な形で京都産業大学が締め出されているというのは、全く説明責任を果たしていないと思っています。
今治市における国家戦略特区に関しては、「一校だけ」「獣医学部がない場所」という極めて限定的な規制緩和を行った時点で、恣意的な運用がなされているのではないか?という疑念が生じる。
そして、なぜ今治に?という疑問に対して、納得の行く説明はまったくない。
さらに、広島・今治は「観光・教育・創業などの国際交流・ビッグデータ活用特区」である。獣医学部とは何も関係がない。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc/dai18/shiryou2-1.pdf
そもそも、「一校だけ」、しかも四国という限られた地域に付与するとなれば、以前から何度も申請してきた加計学園くらいしか申請できないというのは予期できるだろう。
そうすると、これは特区というより特定の学校法人に対する利益供与でないか、とすら疑われる。
だからこそ、「なぜ京都産業大学ではなかったのか?」という疑問に対して、政府は明確に答える必要がある。
政府は明確な判断の理由を説明すべき
「なぜAでなくてBであったのか」その理由を国民に伝えるのが説明責任である。説明責任とは公平性の担保の最低条件だ。
だから、行政では細かい発注でも、一定金額以上なら指名競争入札を行う。それでも未だに、随意契約や特定随意契約などで、癒着や談合は問題になる。
決定プロセスが閉鎖的に行われれば、そこには(意図的であるかは別にして)談合や癒着が発生する。自由に発注できるなら知り合いや友人に発注したいと思うのが人情だろう。
しかし、億単位のレベルで、しかも堂々と総理大臣の知己や、総理夫人の友人に対して、このような不可解な形で便宜が図られているのは驚くべきことだ。
森友学園や加計学園の問題とは、実は極めてシンプルである。「なぜその選択をしたのか」ということを行政が説明すればいいだけだ。我々国民は、もしそれが出来ないなら汚職事件だ、と判断するほかない。なぜなら、それが説明できる形で行政を執行するのもまた、政府の責任だからだ。
例えば、随意契約にして「いや、公平に一番いいところを選んでいますよ」と言われたら立証しようがない。
だから、行政のルールは可能な限り公平性や透明性を担保する形で入札しよう、となっているのだ。立証しようがない形で契約をしてはいけない、というのは大前提である。
重ねていうが、説明責任を負っているのは政府である。説明責任が果たせない形で特定の事業者に便宜が図られていれば、それは汚職である。
王政化する日本
民主主義とは、権力を集中させないよう、かつ恣意的に権力が使われることを避けるための仕組みである。あくまで総理大臣は、国民から権力を付託されているだけであり、その権力は国民に対してオープンな形で行使されなくてはいけない。
しかし、残念なことに世襲制の日本政治においては、国民から選ばれて権力が付託されるという色彩よりも、議員や政治家に選ばれた人間が権力を継承する、という色彩のほうが強い。
もし仮に、安倍総理大臣の権力が国民の付託のもとにあるのではなく、一部政治団体や自分の一族、あるいは党内のパワーバランスなどによって付託されているとすれば、国民に対して説明責任を果たす必要はないだろう。
この動画を見ると、安倍総理大臣からは、国民に意思決定プロセスを説明し、アカウンタビリティを担保するという意識は見受けられない。そこにあるのは、国会においてなお、自分の友人を擁護しようとする一人の男性の姿である。
公平性のない国家は必ず崩壊する。誰もチェックしなければみんなが勝手に金を使うからである。権力者のお眼鏡にかなった一部の人間だけが肥え太り、国民は貧しくなっていく。
公平な国家を未来に残すために、我々一人一人が、この奇怪な状況に対して声を上げ続けなくてはいけない。