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予算委員会とは何か?「予算委員会で予算以外の議論をするな」という指摘が的はずれな理由

予算委員会は、予算案だけでなく政府の資質を追求する場でもある。その歴史的経緯を説明する。

予算委員会で安倍内閣の姿勢が追求されるたびに、総理やその支持者による「予算の話をしろ」と言うお決まりの批判が飛ぶ。

先日、福島議員から森友学園に関して追求された際も、

すでに私は何時間、何十時間も話をしているじゃないですか。97兆円の予算を横に置いておいて何十時間この問題をやるんですか 

安倍総理はこのように答弁している。

 

また、先日の記事についても、「予算委員会だから憲法の話は筋違い」というようなコメントがあった。

www.yomu-kokkai.com

しかし、これは的外れな批判である。

批判が的はずれなわけ

予算は既に成立している

www.nikkei.com

 

そもそも、17年度の予算案は既に成立している。「予算委員会は予算案の話をする場である」という前提を置くなら、もう予算委員会は開く必要など無い。

 

予算委員会は当然開かれている。なぜなら、予算は、予算案と予算の執行、どちらもあって初めて成り立つからだ。

予算の執行者たる内閣の資質が適切であるかどうかを追求するのは当然のことであり、閣僚や総理の発言、基本的姿勢を追求するのは予算委員会の所管事項になる。

予算委員会は幅広いテーマ、特に総理大臣や閣僚の責任追及の場として戦後一貫して機能してきた。その慣例は極めて重要だ。

「安倍内閣の基本姿勢」集中審議

というか、そもそも「読売読め」発言や、福島議員の森友追求に関しては、予算委員会の集中審議「安倍内閣の基本姿勢」の中で行われていたものだ。

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総理の改憲に対する姿勢が「安倍内閣の基本姿勢」に当たらない、と強弁するならともかく、どう考えてもテーマに100%沿った内容である。

そもそも予算委員会とは何なのか?

予算委員会の概要

予算委員会とはなんなのか。衆議院規則にはただ一つ、所管事項は「予算」と書かれている。しかし、政府が行うことで予算の執行が絡まないものは一つとして存在しない。

衆議院規則

つまり、慣例的に予算委員会はあらゆる政府の活動を所管事項になっている。そして、予算委員会はNHKのテレビが入り、また総理大臣の出席が求められることが多い。

野党にとっては見せ場・花形であり、民進党では長妻昭・玉木雄一郎・辻元清美・福山哲郎などの論客、重鎮が理事・委員を務めている。

実質的に、日本では予算委員会が党首討論的な役割を果たしてきた。

 

前述の通り、予算は予算案と執行の両方で成り立っているため、予算案成立の前には「予算案に関する件」その後は「執行状況に関する件」として議題が組まれる。特別に対応すべき議題がある際は、予算委員会の集中審議として委員会を開くことも多い。

(ただ、予算委員会という名前はかなりわかりづらいのも事実だ。誤解を少なくするには予算・執行委員会など名前を変えればいいと思う)

委員会とは何か?

そもそも、委員会制度自体はアメリカの議会制度に習っている。なぜ予算委員会が「花形」になったかというと、日本でもアメリカでも、本会議はあくまで投票・採決の場であり、討論をする場ではないと位置づけられているからだ。

日本もアメリカでも、委員会から本会議の採決にかかるかどうかが攻防のラインとなり、本会議ではあくまで公に、この法案(予算案)を採決する儀式にすぎない。

 

本会議では、閣僚に質問するわけではなく、あくまで法案を読む(お経読み)だけなので、そこでは何ら質疑が出来ない。

なぜ本会議で質疑が出来ないかというと、当然だが採決には全議員の出席が必要なため、そんなところで質問しても非効率だからだ。

だから当然、実質的な質疑の場は委員会となる。

 

委員会は沢山開かれているため、総理大臣が出席する委員会は限定する必要がある。予算案の提出者・予算の執行者というのは必ず内閣になるので、総理入りの質疑の場所としては最適だ。

ということで、国民の目に触れて、後半に内閣の責任を追求する場として、予算委員会は衆議院規則上も、実際上にも、重要なのだ。

予算委員会の存在意義

政府は、このような詭弁を弄する事なく、自らが予算の執行者として当然予算委員会で資質を追求される立場であるということを認め、真摯に質疑に対応する必要があるだろう。

 

ともあれ、内閣の基本姿勢を議題とする委員会で安倍総理が見せた言動は、安倍内閣の国民に対する基本姿勢を明確に示していたと言えるのではないか。その意味で、予算委員会はその存在意義を十分に果たしたと言えるだろう。