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宰相・安倍晋三の本質 ― 意思のない総理と、忖度を生む「権力装置」

森友・加計問題の本質的な問題点

「野党はモリカケばかり」という言葉が、政権に対して寛容な方々に寄って発言されている。折しも、北朝鮮からミサイルが発射されたことも有り、この言葉はホットだ。

 しかし、森友・加計の問題は、国家的に重要な問題である、と何度もいい続けなければならない。

 それは、汚職や不正が起こることではなく、その汚職や不正に対して誰も謝罪しないこと、全く記録が出てこないばかりか、多くの重要な記録が破棄されていること、あまつさえ、過去の発言が書き換えられているということだ。

 記録を全て破棄して、過去の発言の解釈を書き換えれば、誰も責任を取る必要はない。誰も辞める必要はない。誰も傷つかずに済む。しかし、このような姿勢は将来に大きな禍根を残すばかりでなく、現在行われている施策の成否を確かめることもできない。

情報隠蔽の恐ろしさは、先の大戦において正確な分析が握りつぶされ開戦してしまったことや、大本営によって事実を捻じ曲げられ、いたずらに終戦を引き伸ばしたことからも明らかだ。

 自衛隊の日報問題と合わせ、この国の情報公開が危機に瀕することは、アジア情勢が緊迫する今こそ重大な問題だ。 

 しかし、その点は今回述べるつもりはない。今回のテーマは、安倍総理の異質さについてだ。

意思のない宰相

 森友問題や加計問題について、安倍首相は度々「私が直接支持したことはない」と述べている。もちろん、責任逃れと感じる人もいるだろう。

 しかし、私はこう考えている。安倍首相は本当に主体的に関わっていない。だからこそ責任を感じておらず、単に自分は利用されただけと感じているのではないか。

 

 ジャーナリストの青木理氏が書かれた「安倍三代」には、このような安倍晋三評がある。

「こんなにいい子がいるのかっていうくらい行儀がいい」と評された晋太郎の息子、晋三。おそらくはそのとおりなのだろうと私も推測する。

仮面の下に別の顔を持つ狡猾な策士でもなければ、権謀術数に長けた生来の悪人でもない、むしろ凡庸にすぎるほど育ちの良い3世のおぼっちゃま。

極端な善や悪などとまっすぐ無縁にすくすくと育ったつくしん坊。

 安倍首相を評する時、私は「意思なき宰相」あるいは「言葉のない宰相」という言葉が浮かぶ。安倍晋三総理大臣は、戦後歴代三位の在職日数を誇る。安倍首相が、吉田茂や中曽根康弘、あるいは小泉純一郎のように、毀誉褒貶がありながらも強いパーソナリティを持った人物と比べられるだろうか。

 森友・加計学園の問題についても同じだ。安倍昭恵氏、籠池氏、加計孝太郎氏には、それぞれ意図が見える。それが教育者の視点なのか、あるいはビジネスマンとしての視点なのかはわからない。

 しかし、安倍首相にそれらの意図は見えない。国会から見えてくるのは「私に責任はない」という姿勢だけだ。まるで、知らないうちに犯罪に巻き込まれてしまった一般市民のように、「証拠はない」と繰り返している。

誰が法を殺したか?

 加計学園問題にせよ、森友学園問題にせよ、あるいは安保法制や共謀罪などについても、また今回の解散についても、安倍政権は極めてテクニカルに法の抜け穴を突き続けている印象がある。

 このような論評もある。

55年体制下で最もシステムをハックしていたのが竹下登だったとすると、現体制で最もハックできているのが安倍晋三なのかもしれない。(ただ竹下のシステムハックはかなり意識的だったとしても、安倍のシステムハックは自覚的ではないかもしれない。) 

  通常、こういった法の抜け穴を付くやり方は、極めて強い意図を持ってなされるものだ。しかし、先般述べた通り、安倍首相にそれほどの強い意図があるように、私は感じていない。

 首相は利用されただけ。そうなのかもしれない。首相の「ご意向」「後ろ盾」を使うために、様々な人が知恵を凝らして、法の抜け穴をつき、そして発覚した後も首相は自分自身の責任を感じていないのかもしれない。

 つまり、首相自身は主体的な人間として関わっていたのではなく、あくまで「装置」として、籠池理事長や加計孝太郎氏の野望を実現するためにそこに存在していただけなのではないだろうか。

芦部を知らない改憲派

「私は憲法学の権威でもございませんし、学生だったこともございませんので、存じ上げておりません」

  かつて、安倍首相は「安倍総理、芦部信喜という憲法学者を御存知ですか?」という質問に答えてこういった。

 言うまでもなく、芦部信喜氏は法学部の学生なら知らないはずがない名前であるし、日本の憲法議論を戦後常に先導し続けてきた以上、憲法論議に関心がある人間なら知っている名前だ。

つまり、安倍首相は、安倍首相は、自らの頭で考え、憲法の矛盾に対し葛藤したことはない。そして、おそらくは、憲法について学ぶ情熱や、意思を持っていない、ということになる。

 とすると、一体、なぜ改憲をしたいと考えたのだろうか?

 安倍首相は、政治家になるため神戸製鋼を退職する際、「自分も何億の仕事をしているんだ」と反発したという。しかし、最終的に彼は自分の運命に抗うことができなかった。

 今も、それは変わっていないのではないだろうか?

 

 今も、安倍首相は、自分の意志ではなく、一種運命的な役割を背負い、「保守派」の期待に応え、そして友人や親類の頼みに応え続けているだけなのではないか? 

 安倍首相は、加計学園の獣医学部や、森友学園の幼稚園が本当に日本をリードする教育機関になるかということも考えない。自らの意思を持ってそれらを創り上げようとしてわけではない。

 だからこそ、自分に責任はない、と首相は考えているのだろう。「利用されただけ」と彼は言う。それはおそらく間違いではない。

 安倍首相の存在とは、権力装置としての総理大臣を利用したい人にとって、極めて都合がいいのではないか。

 

 洗いざらいをぶちまけた籠池氏は収監され、今も接見禁止だ。一方、加計孝太郎氏は一度もメディアに姿を表さず、獣医学部は認可された。

 そして、安倍首相は今日も自分の責任を否定し続けている。保守的・タカ派の総理大臣の役を演じながら。

 

 しかし、この国のリーダーに責任が無いとすれば、一体、誰がこの責任を取るのだろうか?