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女性参政権前夜 ー 普通選挙の前、議会で一体何が語られていたか

努力義務だけではあるが、候補者男女均等法が成立した。小さい一歩かも知れないが、画期的な一歩だと思う。まずは超党派の議員の方々に敬意を評したい。

 

ところで、これに対し、自民党の小野田議員が下記のような発言をしている。

 

候補者が男女同数になるべき、シンプルな論理 

日本国憲法第十四条には下記の文言がある。

すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 

「差別されない」とは、当然の前提として両者の能力が同等である(≠同一)と規定している。即ち、男性と女性の間に本質的な意味での能力の差はない、というのが大前提だ。

 

つまり、男女の候補者に差があるという現状は、憲法上の男女平等の理念から著しく乖離している、ということになる。能力的に差のない男女の間に、差があるとすれば、それを正していかなければならない、ということだからだ。

という現状を踏まえた上で、今回は理念法が提出されている。小野田議員は、女性が立候補しづらい 現状は認めておられていて、更にこの法案が理念法であることも(流石に)理解されているはずだ。

 

今回の法案には下記の文言がある。

男女が、その性別にかかわりなく、相互の協力と社会の支援の下に、公選による公職等としての活動と家庭生活との円滑かつ継続的な両立が可能となることを旨として、行われなければならない

これはまさに、小野田議員がおっしゃったような現状を変えていくための理念法である。憲法上の前提と著しく乖離した現実を正すため、より女性が立候補しやすいよう環境を整えることに反対することは、正直言って理解できない。

 

女性参政権と女性議員

普通選挙の前まで、一体婦人参政権はどのように語られていたのか、という点を見てみる。

昭和二十年。敗戦後、ポツダム宣言を受諾したあとの帝国議会の議事録だ。当時の幣原内閣の元、婦人参政権についての話し合いがなされている。

  

山隈康元貴族員議員

都會の婦人は相當政治的教養のある方もあるやうでありますが、多くの婦人は今日選擧權を與へらるるよりも寧ろ一片の「パン」、一塊の薩摩芋を貰つた方が非常な幸福であると叫んで居るのであります。

從ひまして此の婦人は衆議院議員選擧に臨む際、恐らく先刻どなたかの質問にありましたやうに、多くの棄權者を出し、又棄權者を出さないと致しました處で、有夫の婦は亭主の命令に依り、又其の他の子女は父兄の指圖に依つて投票する現在の一般婦人の状態に於きまして、候補者の閲歴、才幹等も何等關係しない、甚しきに致つては候補者の氏名すら承知しない者が大部分であらうと思ふのであります。

斯樣な状態、即ち亭主の命令、父兄の指圖に依つて投票を行ふ、自己の自由意思に依つて投票をなし得る者と云ふものは極めて稀であらうと思ふのであります。

 

昭和20年12月13日 ー 衆議院議員選挙法中改正法律案特別委員会

堀切善次郎大臣

何と申しましても矢張り婦人は單純であり、率直である點(てん)があると思ひます。さう云ふやうな頭で判斷することが又宜い場合も相當多いのではなからうかと思はれます。

 

固より婦人の投票の大部分は矢張り亭主のある婦人でありますれば、夫婦仲良く多分同じ所に行くことだらうと思ひます、或(あるい)は娘達は其の家の家長の、否父兄の話す所を聽いてそれに左右されて同じやうに行くと云ふことが大部分ではないかと思ひます。

 

此の間或地方の婦人達が集つて、婦人の投票がどうなるだらうかと云ふ話をした際に、皆の一致した意見としての觀測は、此の儘でうつちやつて置けば、棄權が五割位になりはしないか、殘りの五割の内四割は主人なり父兄と同じ投票になるだらう、五分は女の方が男を引連れるだらう、後の五分がどうなるか分らないと云ふやうに意見が一致したと云ふことを聞きまして、非常に興味のある話に聞いたのでありますが、大體そんな所ではないかと云ふやうな感じが致します。

昭和20年12月13日 ー 衆議院議員選挙法中改正法律案特別委員会 

堀切善次郎内務大臣の発言より(句点、改行を一部変更しました)

 

実際、普通選挙実施までにはこのような声があったのは事実だ。幣原内閣ではかなりの議論がかわされている。

しかしながら、実際は女性を含めた第一回衆議院選挙の投票率は概ね好調だった。

 

大石ヨシエ議員

私たちは、敗戰の結果、婦人参政権をマ元帥からもらつた。それは一昨日も申しました通り、長い間婦人は奴隷的な存在であつた。それが昭和二十一年四月の十日初めて婦人が、敗戰の結果、参政権を獲得して、投票権を持つた。そうして自分の信ずる人に票を入れたんです。

昭和27年04月28日 衆議院・地方行政委員会

 

大石議員は初の女性議員の一人であるが、「マ元帥からもらった」と評している。

また、普通選挙後に組閣された片山内閣では、女性大臣の要求が行われている。これも画期的なことだった。

 

吉川末次郎参院議員

片山首相は先般ラジオを通じて全國の婦人に呼び掛けられて、婦人の政治的自覚を促されたのであります。結構であります。併しながら同時にそういうことは、男子に対しまして婦人を人格的に尊敬するということを教えるということを相伴わなければならないものであると考えておるのであります。

婦人を政治的に、社会的に、経済的に、男女同権の立場からこれを尊敬し、これを重要とする所の観念が、この組閣の問題については少しも現われておらないと思いますることを私は深く遺憾といたすのであります。

封建的な、相変わらず封建的な男子中心的な観念から、そういう適任者はおらないと、こういうように簡單に、無礙に退けられたのではなかつたかというようにも考えるのであります。

昭和22年07月02日 参議院本会議

 

ところが、女性議員の地位向上は遅々として進まなかった。そのことは「国会キス事件」からもわかる。

 

そして、その比率もまた、ほとんど増えていないのだ。 


「女性は単純」と議会で話し合われていた時代から、我々が少しでも進歩していると信じておきたいと切に願う。